TAP the SONG
1970年に北米をツアーで回った加藤和彦の体験から生まれた「あの素晴しい愛をもう一度」
1年間だけという約束でメジャー・デビューしたザ・フォーク・クルセダースは、約束通りデビューから1年後の1968年10月に解散した。 北山修は京都で医学生の生活に…
1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
現在はRomancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載中。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe
TAP the SONG
1年間だけという約束でメジャー・デビューしたザ・フォーク・クルセダースは、約束通りデビューから1年後の1968年10月に解散した。 北山修は京都で医学生の生活に…
TAP the SONG
ザ・フォーク・クルセダース時代からパートナーを組んでいた加藤和彦と北山修(きたやまおさむ)、この二人のソングライターが作った歌の中で、もっとも知られる代表曲が「…
Extra便
ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦が、当時は誰も思いつかなかったようなナンセンスでコミカルな歌「帰って来たヨッパライ」をつくったことによって、200万枚を軽く…
TAP the STORY
京都の平安女学院に通っていた福井光子(ミカ)が、加藤和彦と出会ったのは高校2年生、17歳の秋のことだ。 龍谷大学の学生だった加藤はザ・フォーク・クルセダーズのメ…
TAP the SONG
映画『女はそれを我慢できない』が1957年に日本で公開された時、たくさんの若者たちの目を釘付けにしたのは、動くロックンロールの強烈な衝撃だった。 なかでも評判に…
Extra便
桑名正博のデビュー曲「哀愁トゥナイト」を作り終えた1977年2月、筒美京平と松本隆はリオのカーニバル観光を中心した南米旅行に出かけている。 引く手あまただったヒ…
TAP the DAY
リヴァプールでブライアン・エプスタインが経営するレコードショップのNEMS2号店に、ビートルズの「マイ・ボニー」がほしいという10代の若者がやって来たのは196…
TAP the DAY
1967年6月16日から18日にかけて、カリフォルニア州サンフランシスコ市の南に位置する港町のモンタレーで、ロック史における伝説となったモンタレー・ポップ・フェ…
Extra便
2017年10月1日、トム・ペティがカリフォルニア州マリブの自宅で意識不明の状態で発見され、UCLAサンタ・モニカ病院に搬送されたと報じられた。 その後の報道に…
TAP the SONG
欧米の音楽シーンがロックの時代に入ったことの影響を受けて始まった日本の新しい歌謡曲は、1960年代のエレキブームやグループサウンズを経て、1970年代に入ったと…
TAP the SONG
1977年の夏に流れた資生堂のキャンペーン「サクセス、サクセス、」で、コピーを書いたのはコピーライターの小野田隆雄だった。 そこから生まれたのが作詞:阿木燿子、…
TAP the SONG
どういうわけか”変な歌”や訳がわからない歌が、突如として流行するということが、昭和の時代にはしばしば起こった。 訳が分からないのに忘れられない、妙に印象に残って…