ニューヨークのブルックリンで生まれたシンガーソングライター、ガーランド・ジェフリーズ。
アフロアメリカンの父親とプエルトリカンの母親との間に誕生した彼の音楽は、ブルース、ロック、ソウル、フォーク、ジャズ、レゲエなどなど…その血も生まれ育った環境も含め、まさに“人種の坩堝(るつぼ)”を体現している。
そのキャリアのスタートは1960年代後半に組んだGrinder’s Switchというバンドだった。
20代をバンド活動に費やし…大学時代に知り合ったルー・リードとの再会をきっかけに1973年(当時30歳)からソロ名義に転身してアトランティックレコードと契約を結ぶ。
70年代から80年代にかけてブルース・スプリングスティーンを筆頭に“ストリートロック”というジャンルがカテゴライズされつつあった。
そんな中で、彼はまさに“裏の主役”として頭角を現していたのだ。
そんな彼の作品の中でも名盤と言われているアルバム『Escape Artist』(1981年リリース)がある。
レコーディング期間は1980年から1981年初頭。
そのアルバムがもう少しで完成しようとしていた時に…ニューヨークで起きた悲劇的なニュースが世界中を駆け巡る。
1980年12月8日、ジョン・レノンの死。
それは、ジョンよりも3歳下でニューヨーク生まれのガーランドにとっても大きな出来事だった。
「70年代、俺はニューヨークのウエスト44番街にあったレコード・プラント・スタジオに出入りしていた。最高のエンジニアのひとり、ロイ・シカラが集めた素晴らしいミュージシャン達が俺に音楽指導してくれたんだ。ドクター・ジョン、バーナード・パーディ(ドラマー)、ウィストン・ グレナン(ドラマー)、チャック・レイニー(ベーシスト)、デヴィッド・ブロムバーグ(SSW)、ザ・パースエイジョンズ(黒人コーラスグループ)など、彼からたくさんのことを学んだよ。」
そのレコード・プラント・スタジオでガーランドはジョン・レノンを初めて紹介される。
ガーランドはその日のことを鮮明に憶えていた。
「Bスタジオのコンソールルームだった。ロイがジョンとヨーコを連れて来て紹介してくれたんだ。彼らはよそよそしい態度もなく、カッコつけることもなく、ビートルズぶることもなく…本当に普通の人だったよ。特にヨーコはフレンドリーに接してくれた。」
ガーランドは初期のビートルズが世界中で大旋風を巻き起こしている頃は、あまり興味がなかったという。
彼はビートルズのメロディーと歌詞が10代向けのポップスだと思い込んでいたのだ。
当時の彼はといえば、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ、ローリング・ストーンズ、そしてモータウンサウンドに夢中だった。
ビートルズのレコードはあまり持っていなかった彼だったが、ジョン・レノンだけには特別な魅力を感じていたという。
「ジョンには実にたくさんの素晴らしい歌とパフォーマンスがある。俺のお気に入りは“Instant Karma!”と“Come Together”だ。一番好きで、今でもインスピレーションをくれるアルバムは“Imagine”と“John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)”だ。ソロ作品においてのレコーディング方法、サウンド、プロダクションのやり方、そして彼の歌のにある毒、穏やかさ、弱さ、正直さ、すべてが俺を自由にしてくれたんだ。」
ガーランドは同スタジオで何度かジョンと遭遇したという。
その頃、エンジニアのロイ・シカラはジョン・レノンとも仕事を進めていたのだ。
ガーランドは、当時の様子をこんな風に語っている。
「俺は分別を持っているから、ジョンと距離を置いて自分の仕事に没頭した。彼が近くにいるというだけで本当にワクワクしたてたよ。ハローと挨拶したり、手を振ったりするだけで十分だったんだ。」
そして、ガーランドはアルバム『Escape Artist』を完成させるためにパリに渡り、残りの数曲を仕上げる作業に取りかかっていた。
ある夜、彼は親友の俳優アントワーヌ・ドゥ・コーヌと一緒に明け方まで呑んで騒いでいた…。
「朝の8時にホテルに戻って、ベッドに潜り込んだ時に電話が鳴ったんだ。フランスのビートルズファンクラブの会長からだった。その報せを聞いた時は…もうショックで呆然としたのを憶えている。また会いたい、もっと仲よくなりたい、音楽を通じて彼がこの先やろうとしていたことを俺も見てみたい…。それは素晴らしくクリエイティブな才能の終りだった。俺は“Jump Jump”という曲を書いてアルバムに収録してジョンに捧げたんだ。」
大いなる冒険をしよう
芸術のための芸術をリスペクトしよう
ジャンプ!ジャンプ!
これから楽しもう
君と僕とみんなのために
ジャンプ!ジャンプ!
ロックンロール・ランボーへ
ジャンプ!ジャンプ!
詩人たちと詩へ
ジャンプ!ジャンプ!
ミロのヴィーナスへ
ジャンプ!ジャンプ!
先人たちへ
<引用元・参考文献『メモリーズ・オブ・ジョン』/編者:オノ・ヨーコ/翻訳監修:斉藤早苗/翻訳:シクロス・サナエ(イースト・プレス)>