2017年2月、小沢健二が19年ぶりにシングル「流動体について」をリリースし音楽界に衝撃を与えた。彼は19年間のブランクを感じさせないほど精力的にメディアに登場し、再びブームを引き起こし始めている。
小沢健二は小山田圭吾と共に結成したユニット「フリッパーズギター」を解散したのちソロデビューを果たし、60年代から80年代の洋楽を基調にした音楽性で人気を博した。94年にリリースしたアルバム『LIFE』は80万枚以上の売り上げを記録し、のちに語り継がれる名盤となった。アンダーグラウンドシーンであった渋谷系をメジャーにした立役者の一人である。
しかし彼はアルバム3枚をリリースしたのち、1998年ニューヨークに移住し表舞台から姿を消した。そして2002年と2006年にひっそりとアルバムをリリースするも、僕が音楽を聴き始めた頃には目立った楽曲リリースを行っていなかった。
そんな僕が小沢健二を知ったきっかけはカバーである。彼の楽曲はリリースから10年以上たっても、普遍的なメロディと言葉で愛され続けていた。
代表曲「ラブリー」のリフがモータウンの名曲「CLEAN UP WOMAN」から引用されていたり、「ぼくらが旅に出る理由」のイントロがポール・サイモンの「You Can Call Me AI」を参考にしているのだ。
彼は自分が聴いてきた曲のフレーズを入れることによって、自らの血となり肉となった先人たちにオマージュを捧げていたのである。
過去の音楽を参照にし、小沢健二の言葉とメロディによって新しい音楽が生まれる。そして彼の楽曲たちがカバーされることによって、楽曲の新しい解釈が加えられた。名曲たちが繋がり、新しい音楽が生まれているのだ。その音楽の連鎖に僕は純粋に感動した。
それから数年後の2016年、彼が全国のライヴハウスでツアー「魔法的」を行うことが発表された。2010年代に入って彼は音楽活動を本格化しコンサートを行っていたのだが、大規模な全国ツアーは1996年以来だったという。その「魔法的」で披露されていたのは、現代風にアップデートされた過去の名曲たちと彼が作った7曲の新曲だった。
おなじみの曲もやりますが、帰り道に体に残っているのは、新しい曲たちだと思います。
その言葉の通り、彼がツアーで演奏した7曲はそれぞれ強烈な個性がありながら、帰るときに口ずさめるようなキャッチーさがあったのである。
何より印象に残ったのが、新曲を演奏する前にスクリーンに映し出された歌詞である。
一切英語を使わず、日本語のみで書かれた歌詞には東京の街とそこに生活する人々について描かれている。それに呼応してメロディも、今まで洋楽にオマージュを捧げてきた曲たちとはうってかわり歌謡曲のようなテイストである。
シングルでリリースされた「流動体について」はそのツアーで披露された曲の一つである。現代的なロックなバンドサウンドと、どこか懐かしみのあるメロディはライヴで演奏されたときから変わらない。
音源化にあたって加えられたのは、歌謡曲のような弦楽器の音だ。そのストリングスアレンジは戦前に歌謡曲界で活躍した作曲家、服部良一の孫である服部隆之が務めている。
東京の街を眺めながら過去と今の自分のつながりについて思いをはせるこの曲は、言葉(=人)と街を繋ぐ歌である。
音楽を通して様々なものを繋げてきた彼は、いま日本というものに向き合いながら人と街を繋げようとしているのだ。