浅川マキが歌えばいつでも「あの時代」が浮かび上がってきた。
そこに現実は不要で、彼女の存在そのものが物語になった。
長い黒髪、黒いドレス、目元が強調されたメイク、燻らせたタバコの煙、そして歌われるジャズやブルース…。
彼女こそが日本の“Woman In Black(黒服の女)”だった。
徹底してライブ活動にこだわった生涯は、2010年に公演先で客死したその日から止まったが、残された歌は今も生き続けている。
浅川マキが歌えばいつでも「あの時代」が浮かび上がってきた。
そこに現実は不要で、彼女の存在そのものが物語になった。
長い黒髪、黒いドレス、目元が強調されたメイク、燻らせたタバコの煙、そして歌われるジャズやブルース…。
彼女こそが日本の“Woman In Black(黒服の女)”だった。
徹底してライブ活動にこだわった生涯は、2010年に公演先で客死したその日から止まったが、残された歌は今も生き続けている。
TAP the STORY
1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によってその才能と存在感を見出され、シングル「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。 それは、彼女が27歳になった年…
TAP the SONG
寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキ…
TAP the DAY
浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。 場所は「アンダーグラウンド蠍座」。 前衛芸術とカウンターカルチャー…
TAP the SONG
浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…
TAP the NEWS
生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 19…
TAP the NEWS
器用には生きれない人。 挫折を味わったことのある者だからこそ唄える“歌”がある。 彼等だけが知っている。 本当の優しさ、本物の強さを。 そして“あの光”の正体を…
TAP the LIVE
舞台の隅っこから逆光の照明のなかに野坂さんの背中が見える。 わたしはこの夜、野坂さんのバック・コーラスを受け持っていた。 浅川マキが野坂昭如とともにステージに上…
Extra便
作詞家の喜多條忠が、初めて浅川マキの歌に出会ったのは1968年、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』でのことだ。まだ学生だった喜多條が『銀巴里』に入ったのはまっ…
TAP the CHANGE
1969年にシングル「夜が明けたら」を発表して以降、日本のアンダーグラウンド・シーンを代表するアーティストの一人として活動をしてきた浅川マキ。 ブルースやジャズ…
TAP the STORY
20世紀後半は、ロックとカントリーの間には、歴然とした境界線があった。 そうした時代だったにもかかわらず、ジョニー・キャッシュが立ちはだかる壁を越えて活躍し、両…