「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the LIVE

ジョアン・ジルベルトを偲んで~ボサノヴァの名盤『ゲッツ/ジルベルト』のコンサートが行われたカーネギーホールの客席にいた中村八大

作曲家の中村八大が家族とともにニューヨークへと移住したのは、1964年の8月が終わろうという頃だった。 坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」…

TAP the SONG

「遠くへ行きたい」~わかりやすい話し言葉で人の気持ちを伝える歌を残した永六輔

20世紀はラジオやテレビといった放送メディアが発展したことや、レコードの製造や再生機の普及などによって、音楽の表現領域とその影響力が大きく拡がった。 そんな時代…

Extra便

ビートルズの武道館公演を客席で観ていた次世代のスターとシンガー・ソングライター

京都のバンドだったザ・タイガースは地元のファンが手に入れてくれたチケットをプレゼントされて、ビートルズ来日公演を東京の日本武道館まで沢田研二、岸部一徳、森本タロ…

TAP the SONG

ちあきなおみのヴォーカルで新たな生命が吹き込まれた「黄昏のビギン」

「黄昏のビギン」の作詞者としてクレジットされている永六輔が、「実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も、作曲も」と意外な発言を口にしたのは2012年のことだ…

TAP the DAY

日本の戦後ジャズブームが終息したところにロックンロールが爆発した「日劇ウェスタンカーニバル」

1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争において、日本は朝鮮半島に出兵する国連軍(アメリカ軍)の補給物資を全面的にまかない、破損した戦車や戦闘機の修理から戦死した…

TAP the SONG

まだ無名だった阿久悠が「黒い花びら」から受けた衝撃と作詞家への可能性

日本の音楽史に残るエポックメイキングな歌の「黒い花びら」は、1959年7月に公開されたロカビリー映画『青春を賭けろ』の挿入曲で、新人の水原弘が歌って第1回日本レ…

Extra便

「丸山くんの美しさは『天上界の美』ですよ」という名言を口にした三島由紀夫

1957年の正月、有楽町駅前にあった日劇ミュージックホールでは、美貌の青年歌手・丸山明宏(現・美輪明宏)が初出演して話題を集めていた。 ガウチョ(カウボーイ)の…

TAP the SONG

中村八大の「明日があるさ」と、宮川泰の「若いってすばらしい」は兄と妹のような関係

明るい明日がやって来ることを疑わずにいることができた1963年の師走から翌年にかけて、おおらかな青春賛歌の「明日があるさ」がヒットした。 昭和の時代が1960年…

TAP the SONG

冬のカナダを旅した中村八大がニューヨークに戻って作った「帰ろかな」(北島三郎)

1964年8月から家族を連れてニューヨークに移住した音楽家、中村八大は摩天楼がそびえ立つミッド・マンハッタンの高級アパートメントに借りた12階の部屋で、家族が寝…

TAP the SONG

さだまさしにとって歌の原点となっ六・八コンビによる「生きるものの歌」

永六輔が歌手としてデビューしたのは1974年の夏のことだ。 そのときに先行シングルとして発売されたのが「生きているということは」だった。 〈参照コラム 追悼・永…

TAP the CHART

名曲多数の1963年、ロンドンR&Bシーンの顔役ローリング・ストーンズがデビュー

「TAP the CHART」第47回は、1963年を取り上げます。まずはシングルとアルバムの年間チャートTOP 10から。 【1963年のBillboard年…

TAP the SONG

ヨーロッパでもアフリカでも歌われていた中村八大と永六輔のつくった「遠くへ行きたい」

日本テレビ系列で1970年から放送されている長寿番組が『遠くへ行きたい』、そのテーマソングとして今でも使われているのが「遠くへ行きたい」である。 NHKの音楽バ…

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