「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

忌野清志郎が歌ってスタンダードになった日本語詞の「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビー…

TAP the SONG

RCサクセション「九月になったのに」~歌や音楽でしか伝えられないボロボロの天使たちの叫び

ラジオから流れた歌を聴いてRCサクセションの大ファンになった竹中直人が、熱心にライブへ足を運ぶようになったのは中学3年生の頃だった。 RCサクセションはヤマハの…

TAP the LIVE

海外のパフォーマンスを取り入れて昇華させた忌野清志郎

1978年にアコースティックからエレクトリックへと路線を変更したRCサクセションは、忌野清志郎のグラムロックを彷彿とさせる派手な化粧と、エネギッシュでソウルフル…

Extra便

KISSの武道館公演をNHKテレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で見て感激した忌野清志郎の決断

高校生でバンドを作った1968年から活動をともにしてきたオリジナル・メンバーの破廉ケンチが、うつ病でギターが弾けなくなってメンバーから外れたのは、結成から10年…

ミュージックソムリエ

『夢助』に込められた最後のメッセージ~忌野清志郎

忌野清志郎の生前最後のオリジナル・アルバムとなった『夢助』は、2006年5月22日から6月12日にかけて、アメリカのナッシュビルのスタジオでレコーディングされた…

TAP the STORY

新生RCサクセションを率いる忌野清志郎27歳、 「よォーこそ!」で幕を開けた新時代 

1978年4月2日、忌野清志郎は27歳になった。 高校時代にバンドを結成してから10年を迎えたRCサクセションはその頃、ヒット曲もなければ仕事もないという無作為…

TAP the SONG

RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」から聴こえてきたホットなメッセージ

1964年の春に中学生になったぼくの小遣いは、4月から500円にまで引き上げられた。これで月に一枚はシングル盤を買えるようになったが、言いかえれば月に一枚だけし…

TAP the SONG

忌野清志郎「自分の感じたことを、そのまま形にしたいから、一つの詩を、ああでもない、こうでもないと、何日も考えてる」

「ダーリン・ミシン」という不思議なタイトルの歌を書いたのは忌野清志郎だ。 まだ貧しくて無名の恋人同士、「君」と「僕」が部屋で過ごしているシチュエーション。贈り物…

Extra便

追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー

RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしまっ…

TAP the DAY

忌野清志郎が「ホリプロ三羽ガラス」だった頃に初めて経験した”全国ツアーみたいなもの”

「ぼくの好きな〜」がヒットする前後、オレたちは初めて全国ツアーみたいなものを経験したよ。楽しかった。~忌野清志郎 1971年に「月光仮面」をヒットさせたモップス…

TAP the SONG

デビュー・シングルで「宝くじは買わない」と唄ったのに、買っている姿を加奈崎芳太郎に見られた忌野清志郎

RCサクセションは1972年に「ぼくの好きな先生」が少しヒットしただけで、それ以降はまったく売れない時期が数年間も続いて不遇だった。 しかし、1977年に生涯の…

Extra便

暗黒時代のRCサクセションに活力を与えた若きチンピラ・プロデューサー~春日博文の静かなる復活⑤

1976年7月、カルメン・マキ&OZはLA録音のセカンド・アルバム『閉ざされた町』をリリースした。だが、原盤を制作したキティ・レーベルや発売元のポリドール・レコ…

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