「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

「できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ」忌野清志郎

バリー・マクガイアの「明日なき世界」で始まり、ジョン・レノンの「イマジン」で終わる洋楽のカバー・アルバム『COVERS』は、RCサクセションと契約していたレコー…

TAP the SONG

ロックになったRCサクセションの「上を向いて歩こう」に驚いた作詞者の永六輔

1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生した。 永六輔作詞、中村八大作・編曲、19歳の坂本九が歌った 「…

TAP the DAY

モンタレー・ポップ・フェスティバルが生んだ伝説~オーティスから清志郎に受け継がれた希望と勇気

ジャニスと同じく、1966年6月のモントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルでのパフォーマンスがきっかけとなって、白人の間にまで一挙に評価が高まったのが、…

TAP the SONG

忌野清志郎が歌ってスタンダードになった日本語詞の「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビー…

TAP the SONG

RCサクセション「九月になったのに」~歌や音楽でしか伝えられないボロボロの天使たちの叫び

ラジオから流れた歌を聴いてRCサクセションの大ファンになった竹中直人が、熱心にライブへ足を運ぶようになったのは中学3年生の頃だった。 RCサクセションはヤマハの…

TAP the LIVE

海外のパフォーマンスを取り入れて昇華させた忌野清志郎

1978年にアコースティックからエレクトリックへと路線を変更したRCサクセションは、忌野清志郎のグラムロックを彷彿とさせる派手な化粧と、エネギッシュでソウルフル…

Extra便

KISSの武道館公演をNHKテレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で見て感激した忌野清志郎の決断

高校生でバンドを作った1968年から活動をともにしてきたオリジナル・メンバーの破廉ケンチが、うつ病でギターが弾けなくなってメンバーから外れたのは、結成から10年…

TAP the STORY

新生RCサクセションを率いる忌野清志郎27歳、 「よォーこそ!」で幕を開けた新時代 

1978年4月2日、忌野清志郎は27歳になった。 高校時代にバンドを結成してから10年を迎えたRCサクセションはその頃、ヒット曲もなければ仕事もないという無作為…

TAP the SONG

RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」から聴こえてきたホットなメッセージ

1964年の春に中学生になったぼくの小遣いは、4月から500円にまで引き上げられた。これで月に一枚はシングル盤を買えるようになったが、言いかえれば月に一枚だけし…

TAP the SONG

忌野清志郎「自分の感じたことを、そのまま形にしたいから、一つの詩を、ああでもない、こうでもないと、何日も考えてる」

「ダーリン・ミシン」という不思議なタイトルの歌を書いたのは忌野清志郎だ。 まだ貧しくて無名の恋人同士、「君」と「僕」が部屋で過ごしているシチュエーション。贈り物…

TAP the DAY

忌野清志郎が「ホリプロ三羽ガラス」だった頃に初めて経験した”全国ツアーみたいなもの”

「ぼくの好きな〜」がヒットする前後、オレたちは初めて全国ツアーみたいなものを経験したよ。楽しかった。~忌野清志郎 1971年に「月光仮面」をヒットさせたモップス…

TAP the SONG

デビュー・シングルで「宝くじは買わない」と唄ったのに、買っている姿を加奈崎芳太郎に見られた忌野清志郎

RCサクセションは1972年に「ぼくの好きな先生」が少しヒットしただけで、それ以降はまったく売れない時期が数年間も続いて不遇だった。 しかし、1977年に生涯の…

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