TAP the DAY

イギリスでも注目されていた日本のロック、サディスティック・ミカ・バンドの全英ツアー

2015.10.02

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1968年10月のザ・フォーク・クルセダーズ解散後、69年のソロ・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』に続いて、71年の10月に『スーパー・ガス』を出した頃から、加藤和彦はほんとうのロックバンドをやろうと構想を練っていた。

加藤和彦にとって”ロックとは既成事実に対する反逆”であり、その意味ではザ・フォーク・クルセダーズもロックだった。

国が違うけど、ボサノヴァも僕にとってはロックなんだよね。
それから、絵画で言ったら、どこで見るかによって違うけど、すごい19世紀後半から20世紀を見ると、普通の具象に対して印象派ってあるでしょ。
バロックもそう。
全部それはロックなわけでしょ。


1971年に加藤和彦と高橋幸宏がロンドンの街角で出会ったのはまったくの偶然だったが、音楽史的には必然だったかもしれない。
その瞬間、日本の音楽シーンにおける新しい潮流が生まれたのだ。

高橋幸宏は16歳の時に、小学校からの同級生だった東郷昌和(後にBUZZを結成)と、まだ中学生だったユーミン(荒井由実~松任谷由実)と一緒のバンドで、TBSテレビの若者向け情報番組『ヤング720』に出演したことがあった。

そのスタジオで雛壇のようなセットに座っていた加藤和彦を見て、「かっこいいな、あの人」と思ったのが、実は最初の出会いだったという。

それから3年後、19歳になった幸宏はロンドンのハイ・ストリート・ケンジントンを歩いていて、加藤和彦とすれ違った。

トノバンはマーク・ボランやストーンズの連中が着ていたアルカズークとかグラニー(グラニー・テイクス・ア・トリップ)とか、そういった服を着て髪の毛は紫かオレンジ。
一緒に歩いている男の人はキース・リチャーズかと思ったけど、大口広司だった(笑)。
僕から「こんにちわ」って声をかけたんですよ。


声をかけられた加藤和彦がいきなり「バンドやらない?」と幸宏に話しかけたのは、ベーシストの小原礼からすごくいいドラマーがいるので、紹介すると聞かされていたからだった。

幸宏が角田ひろ(現・つのだ☆ひろ)から大口広司を経て、バンドに加入して3代目のドラマーになったのは1972年の9月である。
そこからサディスティック・ミカ・バンドは本格的なバンド活動に入り、12月31日には東京・日大講堂での「年忘れコンサート」に出演して初ライブを披露している。

アルバム サディスティックミカ・バンド

1973年の5月に出たファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』は、日本ではさほど評判になったわけではない。
いや、それほど目立たなかったといったほうが正しいだろう。

だが、輸入盤が出回ることになったイギリスでは一部の音楽ファンの間で、口コミで噂になるくらいに評判が良く、音楽誌の「NME」でも好意的に取り上げられた。

加藤和彦はロンドンの友人や知人のつながりから、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーや、プロコル・ハルムのプロデューサーだったクリス・トーマスと知り合っている。

するとクリスのほうから「プロデュースをしたい」と声がかかったという。

クリスのことは、僕はプロコル・ハルム、ビートルズで知ってたから、本人にももちろん何回も会ってるし。
いい人だし、その頃バッドフィンガーもやってた。やってる厚いサウンドが好きだったのね。


クリスをロンドンから日本に呼んでレコーディングを行い、アルバム『黒船』を完成させたのは1974年5月のことだ。
時を同じくしてイギリスではファースト・アルバムの『サディスティック・ミカ・バンド』が、現地のレーベルから正式にリリースされた。

そのとき、ミカがプロモーションの目的でロンドンを訪れたことで、サディスティック・ミカ・バンドは認知されていく。

10月5日にシングル「タイムマシーンにお願い」、続いて11月5日に『黒船』が発売されて日本の音楽シーンにも衝撃が走った。

アメリカでも翌76年2月、『黒船』は『Sadistic Mika Band』のタイトルでリリースされた。

イギリスでは4月に『BLACK SHIP』としてリリースになり、
さらに10月5日に出る3枚目のアルバム『HOT!MENU』に合わせて、ロキシー・ミュージックの全英ツアーに参加することが決まった。

HOT

ロキシー・ミュージック側からは前座という扱いではなく、敬意を払われてフロント・アクトとして十分な演奏時間を与えられた。

イギリスの音楽シーンでも注目されていたサディスティック・ミカ・バンドは、こうして10月2日から23日まで合計19回のギグを行った。
ライブはきわめて好評で、ところによってはロキシー・ミュージックを喰ってしまったこともあったらしい。

当時のイギリスのマスコミでは、こんなふうに紹介されていた。

日本の音楽産業は世界第2位の規模であり、英国の音楽産業の2倍のサイズで、次第に高水準のポップロックを産み出しつつあり、その多くは、英米で産み出されるものに匹敵する。

サディスティック・ミカ・バンドは、芸術面でも、商業面でも、今やほぼ確実に日本最高のロックグループである。彼らのアルバムの売り上げは、日本で最も人気のある西洋のバンドたちのアルバムの売り上げを抜いている。

このバンドは、前のアルバム「黒船」と、この10月にリリースされたばかりの「HOT!MENU」を通じて、英国でもすでにカルト的な評判を得ている。


ところが、全英ツアーが終わって日本で11月5日に『HOT!MENU』が発売になった直後、サディスティック・ミカ・バンドの解散が発表されたのである。


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