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オジー・オズボーンとランディ・ローズ〜運命のオーディション

2024.03.18

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失意のオジー・オズボーンに希望を与えたランディ・ローズ


1979年、オジー・オズボーンはブリティッシュ・ハードロックの伝説的バンド、ブラック・サバスに愛想を尽かす。ドラッグと酒浸り、リーダー格であるトニー・アイオミとの修復不能な確執。そういったことが積み重なってのクビ同然の脱退劇だった。

失意の中、オジーは自らの活動をスタートさせるため、バンドメンバーのオーディションを行う。スターバンドを離れてのソロ活動。期待感よりも新しい自分を受け入れてくれるかどうかの不安のほうが大きかった。先が見えずに途方に暮れていた。しかしある夜、運命的な出逢いが起こる。

小さな奴が入って来てね。男か女なのかも分からなかった。でもギタープレイを聴いた途端、もう声も出なかった。俺はすごく酔ってたけど、一気に冷めたよ。


ランディ・ローズだった。母親が経営する音楽教室で地元の子供たちに(注1)ギターを教えながら、クワイエット・ライオット(注2)というLAのローカルバンドで活動していたランディは、このオーディションに乗り気ではなかったという。とても受かる自信がなかったのだ。しかし母親の勧めもあり、出向くこと自体が経験になるからと、無関心のままギターとアンプを持って出掛けた。そしてウォーミングアップのつもりで少し弾いていると、オジーはランディに近づいて言った。「君に決まりだ!」

こうしてランディはイギリスに渡り、オジーと曲作りに励むことになる。二人は一心同体のように通じ合っていたという。

説明なんかいらないんだ。何をするかが分かってるんだ。あの通じ方は驚異的だった。ランディは俺の人生の中で、初めて希望を与えてくれた奴だった。


1980年にリリースされた最初のアルバム『Blizzard Of Ozz』(注3)も絶賛され、ツアーも大盛況。オジーの不安は、一転して成功へと変わった。リフ主体のサバス時代から、メロディ志向のソロ時代へ。その鍵を握ったのがランディの個性的なギターで、彼のクラシック音楽的な旋律を取り入れたプレイは、当時のロックシーンには余りにも衝撃的だった。

悪魔崇拝、酒のトラブル、鳩やコウモリを食いちぎった事件など、オジーには常に黒いイメージがつきまとっていたが、ランディは何もかも逆のような白く美しい天使のような存在であり、この二人の相反するコントラストこそが、最大の魅力でもあった。1981年には2枚目のアルバム『Diary Of A Madman』もリリース。すべてが順調かのように見えたのだが。

年が明けて全米をツアーしている頃、ランディはオジーに打ち明けた。

「オジー。僕はもうロックスターになりたくなんいだ」
一体何を言い出すんだ。オジーは頭がおかしくなったのかと訊いた。
「それがどんなに素晴らしいことか分かってるけど、僕は大学へ行ってもっとクラシックを勉強して学位を取りたい」

無口で真面目なランディは、ロックスターでいることよりもクラシックを習いたがっていた。ツアーの合間も、実家で母親のフルートと一緒にギターを演奏する物静かな青年だった。心の安らぎがどこにあるかを知っていたのだ。

その数日後、ツアー移動中のこと。1982年3月19日早朝、フロリダ州でランディが乗ったセスナ機が墜落。メジャーデビューからわずか1年半。享年25。オジーは自分の中の一部が死んだと、深い悲しみに暮れた(注4)。

二人が残した曲の一つに、ひときわ美しい「Goodbye To Romance」というバラードがある。その歌詞はまるで二人の関係のようで、聴く者の胸を打つ。


王様になったことも 道化師になったこともある
翼を傷つけながらも まだ落ちはしない
また自由の身なんだ 砕けた王冠をかぶった道化師
今度こそ空しい恋はもうやめよう

さよならロマンス さよなら友よ
すべての過去にさようなら
またいつの日か会えるだろう


動くランディの貴重な映像。「Mr.Crowley」のギターソロは余りにも美しい。


こちらも動くランディの貴重な映像。「Crazy Train」を演奏。

「Goodbye To Romance」は二人の関係のようだ。


【解説】
(注1)音楽教室で地元の子供たちに
のちにオジー・オズボーン・バンドに在籍するジョー・ホームズもその一人だった。ランディはレッスンごとに手書きのメモを生徒たちに渡し、励ましの言葉を掛け続けたという。「できるだけ一生懸命練習しなさい。そうすればチャンスは必ず来る。その時のために」。
また、幼い頃からランディ・ローズをヒーローにし、オジー・オズボーン・バンドにギタリストとして一番長く在籍したザック・ワイルドは「ランディの曲をプレイすること自体が名誉なことなんだ」と、来日時のインタビューで話している。

(注2)クワイエット・ライオット
アメリカでのレコード契約が取れなかった彼らは、1978年に日本のみでデビュー。ランディ在籍時に2枚のアルバムを残すが、結局アメリカではデビューできなかった。同じ頃のLAでは新世代のハードロックバンドが産声を上げていて、その中にはヴァン・ヘイレンがいた。超絶的なライトハンドを奏でるエディ・ヴァン・ヘイレン。ランディはオジーと組んで美しいクラシカルな旋律を極める。まったくタイプの違うギターヒーロー二人は、80年代のヘヴィメタル・シーンに大きな影響を与えることになった。
なお、クワイエット・ライオットは1983年に念願の全米デビュー。LAメタルシーンの起爆剤としてリリースしたアルバム『Metal Health』がビルボードチャートで1位、シングル「Cum on Feel the Noize」が大ヒットとなる快挙を遂げるが、その頃はもうランディは亡くなっていた。アルバムのクライマックスに収録されている「Thunderbird」はランディに捧げられた。

(注3)Blizzard Of Ozz
収録されたどの曲も、今やハードロック/ヘヴィメタル・クラシックと言える奇跡的な名曲ばかりである。「Mr. Crowley」「Crazy Train」「I Don’t Know」「Revelation (Mother Earth)」、そして「Goodbye To Romance」やランディのクラシックギター小品「Dee」などを収録。

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オジー・オズボーン『Blizzard Of Ozz』
(1980)

(注4)深い悲しみに暮れた
オジーはランディの死に大きなショックを受け、サバス時代以上にドラッグやアルコールに溺れることになったが、後年立ち直った彼はこう話している。「ランディと一緒に過ごした時間はまるで永遠のように思えた。本当に楽しかったよ。彼は俺にとって、本当に特別な人間だった」
1987年にはランディ在籍時のライブ盤『Tribute』をリリース。「Crazy Train」のPVにはランディが愛用した水玉のフライングVが象徴的に登場するが、このギターはランディの母親宅に保管されていた。オジーはこの時のエピソードを語っている。「彼が死んだ時、彼のギターをケースに入れて閉めたのは俺だった。そして撮影の時、ケースを開けてみたら死ぬかと思うくらい驚いた。弦は錆び付いてたけど、吸いかけの煙草の箱が当時のまま残っていてね。不思議な感じでとても感傷的になったよ」

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オジー・オズボーン『Tribute』
(1987)

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Randy Rhoads 1956.12.6-1982.3.19

*参考・引用/NONFIX特別企画『ランディ・ローズに捧ぐ』(フジテレビ)、『ヒストリー・オブ・オズ』(ソニー・ミュージック)
*このコラムは2014年3月19日に公開されたものを更新しました。

★最新ニュース
没後40年を迎えた永遠のギターヒーロー、ランディ・ローズのドキュメンタリー『ランディ・ローズ』が2022年11月11日(金)より新宿シネマカリテ、渋谷シネクイントほか全国順次ロードショー。
クワイエット・ライオット時代の貴重ライブ映像やインタビュー、オジー・オズボーンとの出逢い、ツアー中に突如訪れたロックスターの悲劇、その死の真相など偉大なる軌跡を記録。ナレーションをL.A.ガンズのトレイシー・ガンズが担当。公式サイトはこちら



【執筆者の紹介】
■中野充浩のプロフィール
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