季節(いま)の歌

リンゴの唄〜敗戦直後の日本人の心に“希望のそよ風”を運んだ奇蹟の歌〜

2016.01.17

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それは今からちょうど70年前の1月の出来事だった。
敗戦直後…悲しみと絶望にうちひしがれていた日本人の心に“希望のそよ風”を運んだ一曲の歌が発売された。


赤いリンゴに唇よせて
だまってみている青い空
リンゴはなんにもいわないけれど
リンゴの気持はよくわかる
リンゴ可愛や可愛やリンゴ

あの娘(こ)よい子だ気立てのよい娘
リンゴに良く似た可愛い娘
どなたがいったかうれしいうわさ
かるいクシャミもとんで出る
リンゴ可愛や可愛やリンゴ


この「リンゴの唄」は、並木路子と霧島昇(霧島の共唱はオリジナル版のみ)によって歌われたもので、敗戦直後の日本において最初にヒットした流行歌である。
作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正(まんじょうめただし)が手掛けている。
戦後映画の第1号『そよかぜ』(1945年10月10日公開)の挿入歌として発表され、レコードは翌1946年の1月に発売された。
優しくも少し切ないメロディーにのせた純粋な歌詞を、松竹歌劇団出身の並木路子が明るく歌いあげて、戦後の苦境を生きる人々の心に希望をあたえたのだ。
なお、『そよかぜ』は並木が主演を務め、霧島も出演している。
映画の内容は楽屋番の母親の手伝いをしていた少女(並木路子)が楽団員たちに助けられながら歌手になっていくという一種のスター誕生物語。
映画はそれほどヒットしなかったが、主題歌は大ヒットを記録したのだ。
この歌がラジオで初放送されたのは、同年12月10日芝・田村町の飛行館スタジオでのNHKの公開番組『希望音楽会』だった。
このとき並木は小脇にリンゴの入ったカゴを抱えて客席に降り、リンゴを配りながら歌ったが、その頃は貴重品(リンゴ1個の値段はサラリーマンの月給が200円の時代に闇市で5円)だったリンゴの奪い合いで会場が大騒ぎになったというエピソードが残っている。


当時、サトウハチローが灯火管制の暗幕の下で、敗戦の2カ月前に作詩したものだという。
戦時中だったので「軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされていたらしい。
可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなったのだ。
レコーディングの際、作曲者の万城目正は並木路子に何度もダメ出しをして「もっと明るく歌うように」と指示したという。
しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。
その事を聞いた万城目は「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。

──それは今からちょうど70年前の1月の出来事だった。
敗戦直後…悲しみと絶望にうちひしがれていた日本人の心に“希望のそよ風”を運んだ一曲の歌が発売された。

■こちらのコラムも是非ご覧下さい「戦後70年の歌〜AFTER’45〜」
http://www.tapthepop.net/news/25451

朝のあいさつ夕べの別れ
いとしいリンゴにささやけば
言葉は出さずに小くびをまげて
あすも又ねと夢見顔
リンゴ可愛や可愛やリンゴ

歌いましょうかリンゴの唄を
二人で歌えばなおたのし
みんなで歌えばなおなおうれし
リンゴの気持を伝えよか
リンゴ可愛や可愛やリンゴ




今日は「リンゴの唄」にちなんで、ちょっとリンゴ雑学を。
品種にもよりますが、おおむねリンゴの旬は秋から冬と言われています。
皆さんもご存知の通り、リンゴはアダムとイブの物語にも登場する歴史の古い果物です。
あらゆる果物の中で、人類との付き合いが最も古いそうです。
原産地は西アジアのコーカサス地方(カスピ海と黒海にはさまれたカフカス山脈のあたり)で、その歴史は諸説ありますが…紀元前6000年頃にはすでにトルコで登場しており、紀元前1300年にはエジプトで栽培されていたとのこと。
古い時代には、「アップル」は「果物」を意味する言葉だったそうです。
日本では、もともと中国や日本原産の和林檎、イヌリンゴなどが「林檎」の名で呼ばれていました。
江戸時代には栽培もされていましたが、これは今のリンゴとは違う種のリンゴでした。果実が小さく、味もよくなかったようです。
現在のようなリンゴが日本へ伝えられたのは、明治時代になってからです。
明治初期に欧米から導入されたアップルは、果実が大きく品質がよく、在来の林檎と区別するために「苹果(ひょうか)」、「西洋リンゴ」、「大リンゴ」と呼ばれるようになった。
そして、在来の林檎は西洋種の導入とともに衰退し、現在は単にリンゴといえば西洋リンゴのことを指すようになる。
日本での本格的なリンゴ栽培は、明治5年に明治政府がアメリカから75品種を導入したのが始まりと言われている。
東京青山で育苗が開始され、増殖した苗を各地に配布。
この時のリンゴの苗が、今日の国内栽培の源になっているらしい。
当初は津軽藩などの士族授産を目的とし、政府の内務省勧業寮や北海道開拓使が旧藩士らに苗木を配ったと記述が残っている。
当初導入された外来品種には、それぞれ日本名がつけられた。
・紅玉(原名:ジョナサン)アメリカ産
・国光(原名:ロールス・ジャネット)アメリカ産
・祝 (原名:アメリカン・サマー・ぺアン)アメリカ産
・旭 (原名:マッキントッシュ・レッド)カナダ産
これらの品種は、東北地方、北海道、長野などでさかんに栽培されるようになる。
その後、大正になって、デリシャス・ゴールデンデリシャス・スターキングデリシャス(いずれもアメリカ産)など、多数の品種が導入され、各地に普及してゆく。
日本での(西洋)リンゴの歴史は長くはないが、今ではすっかり日本の食卓に欠かせない、私たちにとってなじみの深い果物となっている。

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