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二人の母、二人の妻、そして二人のレノン・前編

2016.05.22

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ジョンレノン。
彼には二人の母がいた。
彼は二人の妻と結婚した。
そして彼は二人の息子をこの世に残した。

ジュリアとミミ。
シンシアとヨーコ。
ジュリアンとショーン。

『二人の母、二人の妻、そして二人のレノン』と題して、ジョンと彼らとの間にどんな出会いや出来事があったのか?前編・後編に渡って、いくつかのエピソードをご紹介します。


お母さん 僕はあなたのものだったけど
あなたは僕のものではなかった
僕はあなたを求めたけれど
あなたは僕を求めなかった
だから言うよ…お母さん「さようなら」

お父さん あなたは僕を捨てたけれど
僕はあなたを捨てられなかった
僕はあなたが必要だったけれど
あなたは僕を必要としなかった
だから言うよ…お父さん「さようなら」

子供たちよ
僕の失敗を繰り返さないで
僕は満足に歩けもしなかったのに
無理に走ろうとしたのさ
だから君たちに言うよ…「さようなら」


ジョン・レノンは1940年10月9日に生を受けた。
母親ジュリア(当時24歳)と結婚した時の父親アルフレッド(当時26歳)は船で臨時に雇われていたウェイターだった。
アルフレッドがジョンの側にいたのは2年間だけで、彼は母子を置いて姿をくらましてしまった。
ジュリアは別の男性を見つけ、ジョンは彼女の姉ミミに預けられた。
ところがジョンが5才の時、突然アルフレッドが舞い戻り「お父さんとお母さんのどちらと一緒に居たい」と選択を迫ったという。
はじめは父を選んだジョンだったが、その後、ジュリアに会い…やはりまだ幼いジョンは母を選んだ。
そして、アルフレッドはまた行方をくらませてしまう。
ジュリアは再びジョンをミミ夫婦のもとへ預け、一緒に暮らすことはしなかった。
しかしジュリアはジョンと別居するようになってからも、ほとんど毎日彼に会いに来た。
少しの時が流れ…1957年にジュリアはジョンにとって最初のギター、ギャロトーン (Gallotone) のチャンピオン (Champion) というアコースティックギターをプレゼントする。
それは“割れない補償”付きの安価なギターだった。
ミミは賛成しなかったが、ジュリアはジョンのロックンロール好きに理解を示し、彼がクオリーメン(ザ・ビートルズの前身バンド)で演奏する姿も観に行ったという。
そしてジョンが17歳となった1958年7月15日、別れは突然やってきた。
ジュリアはいつものようにミミの家を訪れていた。
夜になって帰宅するためにバス停に向かう途中、車にはねられてこの世を去ってしまう。44歳だった。
幼年期からの体験、そして、あまりにも突然で衝撃的な母の死によって、ジョンは心のある部分に鍵をかけてしまった。
満たされない思いと、誰にも打ち明けることのできない傷を抱えながら…ジョンはビートルズのメンバーとして世界から注目される存在となってゆく。
そんな中ジョンは1962年に、リバプールの美術学校時代に出会ったシンシア・パウエルと結婚。
いわゆる“できちゃった婚”で、翌年には息子ジュリアンが誕生する。
しかし、両親と生活したことのないジョンは、ジュリアンとの接し方に戸惑い「どうしたらジュリアンが喜ぶか教えてくれないか? やり方が分からないんだ…。」と、ポール・マッカートニーに相談していたという。
シンシアが旅行中にジョンは出会ったばかりのオノ・ヨーコを自宅に引き入れ、そのまま同棲を始めてしまう…。


ジョン・レノンとオノ・ヨーコ。
世界中で最も“有名なカップル”と言っても過言ではないだろう。
二人の出会いの舞台は、ヨーコの個展会場だった。
1966年11月9日の出来事。
前衛芸術家として活躍していたヨーコは、ロンドンのインディカ・ギャラリーで『未完成の絵画とオブジェ Unfinished Paintings and Objects』と銘打った個展を開催した。
その日、ジョンは友人に不思議な日本人女性アーティストのことを紹介されて、彼女の個展をオープニング前日にも関わらず訪れてみた。
友人の紹介とはいえ勝手にギャラリーを訪れたジョンは、いわば招かれざる客だった。
お互い相手が何者であるかも知らなかったにも関わらず、二人はその日その場で恋に落ちたのだ。
それは、こんな“やりとり”から芽生えた恋だったという。


ギャラリーを訪れたジョンは、『釘を打つための絵 Painting to Hammer a Nail』という作品に興味を示した。
それは、真っ白なキャンバスと金槌が壁に飾ってあるだけのもので、見た人がキャンバスに釘を打つというユニークな作品だったという。



ジョンは「釘を打ってもいいですか?」とヨーコに尋ねた。
ヨーコは「まだオープン前ですから、そういうことは困ります」と答えたという。
がっかりしているジョンを見て、ヨーコは「じゃあ、5シリングを払えば打っていいです」と言い出した。
するとジョンは「想像のお金を払うので、想像の釘を打っていいですか?」と答えたという。
そして…二人はにっこり笑い合った。
物に対する感じ方が同じだったのだ。
ジョンはこの出来事をきっかけに、世界一有名なバンドのメンバーとしているよりも、もっと自由に愛や平和を表現したいと心から感じ始めたのだという。
その後二人は少しずつその距離を縮め…一年という期間を経て恋人同士となってゆく。
紆余曲折の末(ジョンはシンシア・パウエルと結婚していたが1968年に離婚、ヨーコは映画監督のアンソニー・コックスと結婚していたが1969年に離婚、最初は一柳慧と結婚していたため2度目の離婚であった)1969年に英国領ジブラルタルで結婚した。
運命的な出会いによって結ばれたジョンとヨーコは、その後あの有名な“ベッドイン”など、次々とユニークな平和活動を行うようになる。

※ジョンとヨーコの出会いには、もう一つの“作品にまつわるエピソード”が存在する

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