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ジミ・ヘンドリックス少年時代〜星や宇宙が大好きだった男の子、そしてギターとの出会い

2018.08.19

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1942年11月27日、ワシントン州シアトルは氷点下の寒さだった。
午前10時15分、キング郡立病院の分娩室で4000グラムの男の子が誕生した。
出生時の名前はジョニー・アレン・ヘンドリックスで、母親ルシールによって名付けられた。
父親アル(ジェームズ・アレン・ヘンドリックス)は、アフリカ系の父とチェロキーインディアンの母との間に生まれたブラックインディアンだった。
ジミには、チェロキーインディアンの血が16分の1、アイルランド人の血も16分の1入っているため、誕生時から色が少し白い赤ちゃんだったという。
ジミが生まれた頃、父親は第二次世界大戦に招集され出征中だった。
17歳の若さでジミを産んだ母親ルシールは、遊び好きで、酒と男に溺れ、家庭を顧みないところがあった。
ルシールが出奔してしまったため、ジミは母方の祖母や姉夫婦のもとで育てられていたという。
終戦後の1945年、帰国したアルがヘンドリックスを引き取り、父一人、息子一人の生活が始まった。
この頃ジミは、父の名を継いでジェームズ・マーシャル・ヘンドリックスと改名している。
父方の祖母ノラ・ヘンドリックスは、幼い孫にチェロキー族に伝わる話を語り聞かせたという。
ノラはインディアン居留地(Reservation)に住んでおり、ジミは居留地で希望のない生活を送るインディアンたちの姿を目の当たりにして育った。
彼のデビューアルバム『Are You Experienced』(1967年)に収録されている「I Don’t Live Today(今日を生きられない)」はその体験から生まれた曲だった。


その後、ジミが9歳の時に両親の離婚が成立する。
長男のジミと次男のレオンは父アルのもとで育てられ、三男のジョセフは養子に出された。
両親の離婚後も幼い兄弟は母ルシールと会っていた。
弟のレオンは当時のことをよく憶えているという。

「本当は会っちゃいけないことになっていたんだけど、二人でよくママの家に行ったよ。パパは僕たちが悪さをしたとき“母さんのところにやっちゃうぞ!”と脅していたんだけど、僕らはママと過ごしたほうが楽しかったんだ。だけどママは2〜3日惜しみなく愛を与えてくれたたかと思うと、すぐに何ヶ月も姿を消しちゃんだ。」


その頃、ジミはシアトルにある小学校に通っていた。
学校の記録によると、ジミの成績はおおむね平均以下で、音楽の成績は悪かったらしい。
得意科目は美術だった。
ある日学校で「自由なテーマで絵を描いてきなさい」と言われた時に、ジミは火星の夕焼けのような見事な抽象画を提出して、先生を驚かせたという。
父アルは、時おりジミたちを町の映画館に連れて行った。
ジミの一番のお気に入りの映画は『フラッシュ・ゴードン』だった。
ジミはクラスの皆からこの映画の主人公“バスター”というあだ名で呼ばれることとなる。
マントとヘルメットを被って屋根から飛び降りたり、宇宙のことを話すことが大好きで、星や惑星の絵をいつも描いていたという。
彼の曲中に星のことがよくでてくるのは、少年時代に夢中になったSF映画の影響といえるだろう。



ジミがエレキギターと出会ったのは12歳だった。
友達の影響でB.B.キングやエルモア・ジェイムスといったブルースを耳にするようになり、当時アメリカ中の若者を熱狂させていたエルヴィス・プレスリーに夢中になっていた時期だった。
ギターを持っていた友人の家に集まり、みんながカードゲームで盛り上がっている時間に、ジミはそっとギターを玄関ポーチに持ち出していじくっていたという。
当時のことをジミ本人が語った記録が残っている。

「どうやって弦を張り替えていいのかもわからなかったんだ。僕は左ききだったから、全然しっくりこなかったよ。弾き真似のようなことをしていても“何だか変だな”と思っていたんだ。ある晩、父親がアパートの大家の息子から古いギターを5ドルで買い取って僕にくれたんだ。」


父アルも当時のことをよく憶えているという。

「ジミは暇さえあればギターを弾いていたよ。最初は右利きで弾かせようとしたんだが、ジミは自分のやりたいように独学で学んでいったんだ。」


12 歳の少年は弦の張り方も覚え、ギターの魅力に取り憑かれていった。
そして、ありとあらゆるものから音楽を吸収していったという。
レコード、ラジオ、テレビのアニメなどのBGMや効果音も熱心にコピーしていた。
そして近所に住む老人が玄関先で弾くギターを横に腰掛けて聴くのが大好きだった。

「そのじいさんはカントリーブルースをやっていた。十八番はビッグ・ビル・ブルーンジーだったよ。」



15歳になったジミは、アマチュアバンドで経験を積み、ギターの腕を磨いていったという。
しかし…その後、彼は自動車窃盗の罪で逮捕される。
その際、投獄されるのを回避するために陸軍に志願して入隊。
第101空挺部隊(スクリーミング・イーグル)へと配属されることとなる。

「16歳で学校を中退して暇を持てあましてたし、俺が生まれ育ったシアトルの町では面白いことなんてなんにもなかった。法的に入隊が許可される17歳になるのを待って陸軍に志願したんだ。そしたら驚くべきことに、軍人生活の方がずっとつまんなかった!気温が0度以下で腕立て伏せ。飛行機からの落下訓練。軍隊は俺の根性を叩き直そうとした。俺が泥の中でも眠れるかどうか試したかったんだ。」



ジミはそこで黒人ベーシストのビリー・コックスと出会う。
すぐに意気投合した二人は、軍隊内のクラブハウスで一緒に演奏することもあった。
当時はベトナム戦争が開戦したばかりの時期だったが、ジミはベトナムの戦地に行くことはなかった。
しかし、この従軍の経験がウッドストック・フェスティバルでの「The Star Spangled Banner」の演奏や、バンド・オブ・ジプシーズの「Machine Gun」の誕生につながったと言われている。



<参考文献『ジミ・ヘンドリックス エレクトリック・ジプシー〈上〉』ハリー・シャピロ (著)シーザー・グレビーク(著)岡山徹 (翻訳)/ 大栄出版>



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