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ボヘミアン・ラプソディ〜「グラムロックの残りカス」と酷評されたクイーンの快進撃

2018.11.28

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クイーン、そしてフレディ・マーキュリーの知られざる姿を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』(Bohemian Rhapsody/2018)が日本でも大ヒットしている。

クイーンがデビューしたのは1973年。その奇抜なアイメイクやファッションのせいもあって、本国イギリスの音楽メディアからは「グラムロックの残りカス」などと酷評されながらも、日本では女性ファンから火がついたというのは有名な話(ちなみにこれがモデルケースとなり、チープ・トリック、デュラン・デュラン、ボン・ジョヴィなども同じように日本では女性ファンがアイドル的に先導。その後に本国や世界規模でブレイクを果たした)。

音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の人気投票ではバンドやメンバーが1位を独占する時期(70年代後半〜80年代前半)もあり、この頃ファンだった人たちの心をしっかり捉えていることも一因だ。また、リアルタイムでクイーンを知らない世代でも、90年代以降にスポーツイベントや映画やCMなどで彼らの曲が繰り返し使用される機会があったことから、CDバブルの時代に実は後追いしていた人も少なくない。

余談だが、90年代に「ボヘミアン・ラプソディ」のリバイバル・ヒットに多大な貢献をした映画『ウェインズ・ワールド』に主演したマイク・マイヤーズが、本作ではフレディたちに嫌われるEMIレコードの社長を演じているのも面白い。

とにかく、改めてクイーンが幅広い世代から愛されている印象を受けた(アメリカのヒットチャートでは過去のアルバムが立て続けに再びランクイン)。仮に彼らの存在をまったく知らなくても、ロックに興味なんかなくても、映画の仕上がりは素晴らしく、大抵の人なら入り込んで楽しめる内容になっている。試写会や招待ではなく、自腹でチケットを買って満員の映画館で観てきた率直な感想だ。

ミュージシャンの伝記映画はこれまでたくさん作られてきたが、残念ながら興行成績に結びつくものは多くなかった。ヒップホップ・グループのN.W.A.の姿を描いた『ストレイト・アウタ・コンプトン』がこれまでそのジャンルのナンバーワン・ヒットらしいが、ロックバンドものでは『ボヘミアン・ラプソディ』がその座につくのは間違いない。

まだ公開されたばかりなので、ここで内容に詳しく触れるのはやめよう。バンドが結成された1970年から伝説となった1985年の「ライヴ・エイド」のパフォーマンスまで、クイーンの15年間の足跡を体感することができる。軽やかなアップデート(更新)というよりは、苦難を乗り越えながら世界的ロックバンドへと“醸成”していく感覚が全編に渡って流れている。

特にラストの十数分間は「ライヴ・エイド」のステージを驚くほど忠実に再現していて、観る者の心を揺さぶる魔法のような時間が訪れること必至だ(この史上最大のチャリティー・コンサートの模様は当時日本でもかなり話題になったが、確かにこの日のクイーンは他の出演者たちとは明らかにレベルが違っていた)。

クイーンはポップカルチャーを創り出すロックバンドであると同時に、ビジネス面でも本人たちに才覚があったといわれ、この一大イベントに対する思い入れも描かれている(ただし、アフリカの飢餓救済がプライオリティなので賛否両面はあったようだ)。

そしてフレディ・マーキュリーが自分の容姿にコンプレックスを抱いていたこと、酷評された駆け出し時代、婚約者との別れの経緯、スターの孤独、メンバー間の確執、名曲誕生秘話などが明かされるこの映画には、不器用な人間らしさとモノ作りへの情熱が溢れていることも特筆すべき点。

映画化は2010年から構想されたプロジェクトで、様々な試行錯誤を経て公開に至った。「フレディの遺志を守るため」と、すべてに関わったというブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を担当。サウンドトラックには本編前に流れる「20世紀フォックス・ファンファーレ」やクイーンの名曲の数々、未発表音源(1985年のライヴ・エイドでの全パフォーマンスを含む)が収録されているのも嬉しい。

なお、毎年9月5日頃になると、スイスのモントルーではフレディの誕生日を祝い、偲ぶ「フレディ・フォー・ア・デイ」が開催。HIVエイズ撲滅を目指す団体「マーキュリー・フェニックス・トラスト」が募金を募り、世界中のエイズ関連事業に援助の手を差し伸べている。

(クイーンの足跡)
1946年
9月5日。当時は英国領だったアフリカのザンジバル島で、ファルーク・バルサラが誕生。 

1955年
父親の仕事の影響でインドへ。バルサラ、寄宿学校生活を送る。

1964年
家族とロンドンに移住。バルサラはアートスクールに入学。卒業後は古着屋や空港で働く。

1970年
ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーとクイーンを結成。バルサラからフレディ・マーキュリーに改名。

1971年
ジョン・ディーコンが加入。

1973年
ファーストアルバム『戦慄の王女』リリース(英24位/米83位)。

1974年
セカンドアルバム『クイーン II』(英5位/米49位)、サードアルバム『シアー・ハート・アタック』リリース(英2位/米12位)。

1975年
4月、日本初来日。日本武道館を含む7都市8公演を実施。熱狂的な歓迎に「まるで違う惑星に降り立った気分だった」とブライアン。フレディはこれがきっかけで親日家となる。
同年には『オペラ座の夜』をリリース(英1位/米4位)。シングルカットされた「ボヘミアン・ラプソディ」は「長いから誰も聞かない。ラジオで掛からない」との悪評を蹴散らし、イギリスで9週1位を記録。

1976年
5枚目『華麗なるレース』リリース(英1位/米5位)。「愛にすべてを」を収録。

1977年
6枚目『世界に捧ぐ』リリース(英4位/米3位)。人気の「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」を収録。アメリカで初のプラチナディスクに輝く。

1978年
7枚目『ジャズ』リリース(英2位/米6位)。「ドント・ストップ・ミー・ナウ」を収録。

1979年
初のライヴアルバム『ライヴ・キラーズ』リリース(英3位/米16位)。

1980年
8枚目『ザ・ゲーム』リリース(英1位/米1位)。ナンバーワン・ヒット2曲「地獄へ道づれ」「愛という名の欲望」を収録。アルバムもアメリカで初の1位を獲得。
同年、映画『フラッシュ・ゴードン』のサウンドトラックを担当。

1981年
デヴィッド・ボウイと共作した「アンダー・プレッシャー」リリース。
これまでのヒット曲をまとめた『グレイテスト・ヒッツ』リリース(英1位/米11位)。現在、イギリスにおけるアルバムセールスで歴代1位。

1982年
9枚目『ホット・スペース』リリース(英4位/米22位)。

1983年
アルバムセールスの低下、メンバー間の確執。ソロ活動に流れる。

1984年
10枚目『ザ・ワークス』リリース(英2位/米23位)。「RADIO GA GA」を収録。

1985年
フレディのソロ『Mr.バッド・ガイ』リリース(英6位/米159位)。
1月、ブラジルのフェス「ロック・イン・リオ」に出演。
7月、「ライヴ・エイド」に出演。ウェンブリー・スタジアムを埋め尽くした7万2000人を歓喜させる。「1985年7月13日のライヴ・エイド出演がなければ、そのまま本当に解散していたかもしれない」

1986年
11枚目『カインド・オブ・マジック』リリース(英1位/米46位)。フレディ在籍時の最後のツアーを実施。

1989年
12枚目『ミラクル』リリース(英1位/米24位)。

1991年
13枚目『イニュエンドウ』リリース(英1位/米30位)。
フレディ、エイズ感染を告白。11月24日死去、享年45。

1992年
追悼コンサートが開かれた。

予告編


こちらは本物のクイーン。伝説となった1985年のライヴ・エイドのステージ。

エンドロールで流れる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」の動画。


*伝説となった「ライヴ・エイド」の音源を収録したサウンドトラック

*日本公開時チラシ

*映画の公式サイトはこちら

*参考・引用/『ボヘミアン・ラプソディ』パンフレット

評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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