「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

吉田拓郎の「まにあうかもしれない」は岡本おさみによる吐きすてタンカだった〜〈吐きすて〉の歌の系譜②

2023.03.13

Pocket
LINEで送る

岡本おさみが言うところの〈吐きすて〉の歌の元祖を海外に求めれば、真っ先に名前が挙がるのはボブ・ディランであり、ビートルズのジョン・レノンやローリング・ストーンズのミック・ジャガーなどが続くだろう。
そしてボブ・ディランやジョン・レノンから強く影響を受けた日本のシンガーと言えば、まずは吉田拓郎が筆頭に挙げられる。

自分の内面から生じる表現への抑えがたい衝動を優先するシンガー・ソングライター場合には、キャリアの初期に〈吐きすて〉の歌が誕生することがある。
高校時代にビートルズのような音楽を目指していたという吉田拓郎が、ボブ・ディランの音楽に出会ったことで言葉をたたみかける、”たくろう節”とも呼ばれる〈吐きすて〉の歌が生まれたのかもしれない。

吉田拓郎はデビュー当時から”和製ボブ・ディラン”と呼ばれたりもしていたが、その吐きすてるかのようなニュアンスだけでなく、字余りの歌詞をなんなく歌いこなせる歌唱力という点では両者には相通じるものがあった。

そもそも〈吐きすて〉の歌という言葉は、吉田拓郎とのコンビで数多くの歌を書いた作詞家、岡本おさみが使い始めたものである。

ラジオの番組の構成作家だった岡本おさみは、日本のフォークシーンが活発になった時期に番組を通して、泉谷しげるや吉田拓郎と出会って作詞の仕事をするようになった。

岡本おさみは当時の気持ちを、このように記している。

むしょうにことばを吐きたかった。
ぼくはノートにことばを吐くと、うたらしい型にととのえて拓郎に渡した。
それは電話であったり郵送であったりした。
どんな型がうたであるのか、それはくどくど考えなかった。
ぼくのことばは表面明るいものでも、その底のところは吐きすてのタンカだった。


初期の吉田拓郎や泉谷しげるの歌い方は、若さゆえのテレくささを隠すかのように、どこかぶっきらぼうだったし、どこかに〈吐きすて〉のタンカといった勢いがあった。

岡本おさみがことばを吐いて吉田拓郎が作曲して歌う、そこからはいくつもの名曲が生まれてきた。
ふたりの組み合わせがある時期、ある時代にシンガーとソングライターとしては理想的だったのだろう。

ところで取り上げた動画のなかで、吉田拓郎は自分の歌詞を実は一曲も完全には覚えていないと話していた。
それにもきちんとした理由があるにちがいなく、歌詞の文字を見ながら歌うことで、その時その瞬間の自分に素直になれるのだろう。
歌が生まれたときの初期衝動を感じて、自分を心を素直に歌に表すことができる。

美空ひばりが「悲しい酒」でいつも同じ歌詞のところでほんとうに涙を流す、どこでもどんな条件でも同じように完璧に歌う能力が、芸能界といわれる世界では一流のプロの証だとされていた。
しかしそうではなく、いつも新鮮に歌える方法を選んだのが吉田拓郎だった。

だから歌詞の面でも七五調という日本語の定型にしばられず、のびのびと自由に歌えばいいのだとアピールしたのだ。
そうした楽曲を作ってヒットさせたことも含めて、日本語のロックを確立したはっぴいえんどと同じくらいに、その功績は大きいし、後世にも大きな影響を与えている。









Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ