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いつまでも鳴り響くナイアガラ~大瀧詠一特集

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大瀧詠一さんがこの世を去ってからまもなく1年、ベスト・アルバムやコンピレーションがリリースされて、残された作品の数々は忘れられるどころか、ますます輝きを増していくように思えます。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ


万葉集に残された和歌は、こうも読み取れます。

大きな瀧の音楽はもう新たに生まれることはないが、ナイアガラの音楽は今もしっかり聞こえている‥‥。

大瀧さんが残した素晴らしい楽曲の数々が、この先もずっと歌い継がれることを願い、TAP the POPでは書き下ろしも含めて、コラムをまとめて特集したいと思います。

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いつまでも鳴り響くナイアガラ~大瀧詠一特集

Extra便

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TAP the DAY

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TAP the SONG

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TAP the STORY

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夢で逢えたら

TAP the SONG

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TAP the LIVE

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Extra便

小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」

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Extra便

竹内まりやが「一緒に歌う相手は大瀧さんしかいない」と決めていたラブソング

「Something Stupid(恋のひとこと)」は1967年にフランク・シナトラと娘のナンシー・シナトラが歌ってヒットし、全米ナンバーワンになったデュエット…

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