「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

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これが21世紀の歌謡曲~サカナクションの「新宝島」から伝わってくる微妙なる衝撃

1954年の夏、春日八郎の「お富さん」が爆発的にヒットした時に、兵庫県の淡路島で受験勉強をしていた阿久悠は、こんなふうに歌が届いたことに驚いたと述べている。 こ…

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美空ひばり「愛燦燦」~小椋佳のデモテープを聴いて「シングルにしたほうがいい」と思ったことで誕生した人生賛歌

――ハワイのサトウキビ畑で働く農夫とその家族たち。夕方、収穫を終えた一家が馬車で家路をたどる。母に抱かれて眠る少女。突然の激しい夕立に小屋の軒先で雨を避ける一家…

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黒柳徹子が独特な持ち味を発揮し始めた伝説の番組『夢であいましょう』

耳で歌を聴くだけではなく、目でも音楽を楽しむ。 そんな生活が身近になったのは、1960年代前半にテレビが一般家庭にまで普及したおかげだった。 衣食住の心配が少な…

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何も言わずに待ってくれた大瀧詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆

松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して…

夢で逢えたら

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大瀧詠一の「夢で逢えたら」が日本有数のスタンダード・ナンバーに至るまでの道のり

数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味では、「夢で逢えたら」が代表曲に挙げられる。 この歌が誕生したのは…

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「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

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あの感傷的で美しいスタンダート・ソング‥‥「ビギン・ザ・ビギン」

1935年。ミュージカルの楽曲を書き下ろしていたアメリカのソングライター、コ-ル・ポーターは、当時パリで流行していたダンスのビギン=beguineと、英語のビギ…

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中森明菜によって新たな生命を吹き込まれた加藤登紀子の「難破船」

「難破船」は加藤登紀子が1984年12月1日にリリースしたアルバム『最後のダンスパーティー』の収録曲で、発表当時はアナログ盤のA面2曲目であった。 40歳を迎え…

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「拘置所のトイレをあけるとねずみが顔を出し楽しい」と書かれていた手紙から生まれた「ひとり寝の子守唄」

東京大学に在学中だった1965年に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し、翌年に「誰も誰も知らない」で歌手デビューした加藤登紀子。セカンド・シングル…

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林美雄に発見された映画『八月の濡れた砂』と主題歌を歌ってデビューした石川セリ

究極の音楽映画ともいえる『八月の濡れた砂』。しかし、リアルタイムで公開された1971年の8月にはまったくといっていいくらい、劇場に観客が足を運んでくれなかったの…

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完璧な映画を目指したチャップリンによって生まれた「スマイル」

新型コロナウイルス感染症の問題が世の中に深刻な影を落とし始めて間もない2020年の春、サックス奏者の渡辺貞夫が、自宅で撮影・録音したパフォーマンスを公開した。 …

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世界のミフネと呼ばれた男~三船敏郎という映画スターの誕生を彩った歌「ジャングル・ブギー」

戦時中に軍の報道佐官待遇として中国に渡った作曲家の服部良一は、終戦を上海で迎えてしばらく留め置かれたが、1945年12月になって生きて帰国することができた。 そ…

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