「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」①~それはザ・ゴールデン・カップスのデビューから始まった~

1960年代後半に巻き起こったGSブームでは、数百ともいわれるバンドが全国各地でプロとして演奏活動をしていたといわれる。 そのなかにあって傑出した存在だったのが…

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ジョージ・マーティンにプロデュースを断られたことから始まった、ビリー・ジョエルの快進撃

1949年5月9日にニューヨークのブロンクスに生まれたビリー・ジョエルは、ピアニストでもあったドイツ系ユダヤ人の父親の影響から、4才でピアノを習い始めてクラシッ…

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何日君再来~当局から禁止されても、取り締まられても、拡がり続けたテレサの歌声

歌ってはいけない、放送してはならないと禁じられる歌がある。 書いてはならない、描いてはならないと禁じられる表現がある。 2001年にアメリカで起きた同時多発テロ…

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忌野清志郎が歌ってスタンダードになった日本語詞の「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビー…

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国分寺三中の先輩・忌野清志郎と後輩・ハナレグミのデュエット~「サヨナラCOLOR」

めったにはないことだが、レコーディング中にOKテイクが録れた瞬間、いずれはスタンダード・ソングになると予感させる歌がある。 2001年に出たスーパー・バター・ド…

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RCサクセション「九月になったのに」~歌や音楽でしか伝えられないボロボロの天使たちの叫び

ラジオから流れた歌を聴いてRCサクセションの大ファンになった竹中直人が、熱心にライブへ足を運ぶようになったのは中学3年生の頃だった。 RCサクセションはヤマハの…

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寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

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RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」から聴こえてきたホットなメッセージ

1964年の春に中学生になったぼくの小遣いは、4月から500円にまで引き上げられた。これで月に一枚はシングル盤を買えるようになったが、言いかえれば月に一枚だけし…

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忌野清志郎「自分の感じたことを、そのまま形にしたいから、一つの詩を、ああでもない、こうでもないと、何日も考えてる」

「ダーリン・ミシン」という不思議なタイトルの歌を書いたのは忌野清志郎だ。 まだ貧しくて無名の恋人同士、「君」と「僕」が部屋で過ごしているシチュエーション。贈り物…

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越路吹雪、美輪明宏、大竹しのぶ、それぞれが定番にしたエディット・ピアフの「愛の讃歌」

シャンソンの名曲として世界中で親しまれている「愛の讃歌」は、日本でも越路吹雪の歌などによって、1950年代前半から60年代にかけて広く親しまれて浸透していった。…

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19歳の山口百恵が「私自身に近いところで歌が呼吸していた」と書いた「プレイバックPartⅡ」

山口百恵が所属するホリプロダクションの傘下にある音楽制作会社、東京音楽出版の原盤制作ディレクターとして、モップスや井上陽水を手がけていた川瀬泰雄が新たにスタッフ…

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井上陽水の「傘がない」にあったのは、「カ」「サ」「ガ」「タ」「ダ」から生まれる切迫感と叙情だった

井上陽水の初期の代表曲「傘がない」は、1972年7月にシングル・カットされたが、当時はヒット曲にならなかった。しかし、聴いた人たちには軽い衝撃を与えた。いや、そ…

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