「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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16歳にしてひとつの到達点にまで至った山口百恵のバラード「冬の色」

1974年の夏に「ひと夏の経験」が大ヒットしてからの山口百恵は、歌手としてだけではなく芸能活動全般において、あきらかに勢いがついてきた。 9月に新曲の「ちっぽけ…

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寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

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フォスターが書いたアメリカに伝わる究極の哀歌が21世紀になって歌われ始めたのは何故か?

ここ最近になって世界でも日本でも、さまざまなシンガーによって歌われているのが、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)…

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歌でつながっているアメリカ合衆国で唄いつがれるスティーブン・フォスターの「故郷の人々」

アメリカ合衆国は、歌でつながっている国だと言ってもいい。 市や町や地域のコミュニティを構成する人々は多種多様だ。 それぞれのコミュニティにとってのアメリカがあり…

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伝説のロック番組『ヤング・ミュージック・ショー』に残されたデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」

デヴィッド・ボウイの来日コンサートが1978年12月12日、東京の渋谷区神南にあるNHKホールで行われた。 その日は12月6日の大阪厚生年金会館から始まった日本…

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浅川マキに発見されて歌い継がれてきた日本語のブルーズ、南正人「あたしのブギウギ」

1975年の日本の音楽シーンでは、ユーミンこと松任谷(荒井)由実がシングルの「ルージュの伝言」を2月20日に発表した。 それを契機にマスコミで次第に「ニューミュ…

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<音楽史のレジェンド>日本語のロックをバックビートでうたった南正人のアルバム『回帰線』

2021年1月7日の夜、シンガーソングライターの南正人が横浜市内のライヴハウス「THUMBS UP」で、本番中に意識を失って亡くなったというニュースが、音楽関係…

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「津軽海峡・冬景色」~なぜ日本の歌の主人公は北へ北へと目指すのか?

覚えやすいことが必要な歌謡曲では、まず印象的なイントロのアタックが重要だ。 そして歌詞においては歌い出しの一行が勝負である。 「津軽海峡・冬景色」はわずか一行で…

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「宮本浩次の歌のうまさはダントツですね」と佐久間正英に言わしめたエレカシのヒット曲「今宵の月のように」

デビューから32年目にして初めてNHK紅白歌合戦に出演が決まった2017年12月、エレファントカシマシの宮本浩次は記者会見で、初出場への抱負をこう語った。 「メ…

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椎名林檎「丸の内サディスティック」~昭和の「東京行進曲」にもつながっている、どこか扇情的なご当地ソング

椎名林檎の担当ディレクターだった東芝EMIの篠木雅博は、彼女のデビューに向けて楽曲制作の準備に入っていた頃、現場での仕事を減らしてプロデューサー的な立場に移行し…

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何も言わずに待ってくれた大瀧詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆

松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して…

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なかにし礼が作詞家になった出世作~菅原洋一「知りたくないの」

立教大学の学生だった中西禮三(後の作詞家・作家 なかにし礼)はシャンソン喫茶でアルバイトするようになり、美輪明宏がホームグラウンドにしていたことで知られるシャン…

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