「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

りりィが17歳の時に初めて書いた歌~「愛」に込められた孤独な少女の叫び

りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」の設立を企画したのは1966年のことだった。 その時期にゴス…

TAP the SONG

追悼・りりィ~哀切きわまりない「心が痛い」と、ヒット曲の「私は泣いています」

1952年2月17日に福岡県に生まれたりりィは、ロシア系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。 朝鮮戦争に従軍した父は、彼女が生まれる前に戦死…

TAP the SONG

高倉健の代表曲「網走番外地」は、なぜ放送禁止歌として扱われていたのか

報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の映像作品を手がけるほか、作家としての著書も数多くある森達也が書き記した「放送禁止歌」(知恵の森文庫)は、放送禁止歌…

TAP the SONG

デュアン・オールマンはなぜウィルソン・ピケットを説得して「ヘイ・ジュード」をカヴァーさせたのか?

ビートルズの18枚目のシングル「ヘイ・ジュード」は1968年8月末に発売されると、9月28日には全米チャート1位になって9週間連続で首位の座をキープするという大…

TAP the SONG

ストーンズが共同で暮らした汚い部屋から生まれたのは音楽への熱っぽい愛による合金だった

電気の配線はむき出しになっていた。壁紙は剥がれていたし、家具も壊れていた……。 汚れた皿が積み重なり、あちらこちらに空きビンが並び、音楽雑誌やレコードが床に無造…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。 そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。 最初の1行の…

TAP the SONG

フランスに生まれた反戦歌の「大統領殿」をフォークル時代から歌い継いできた加藤和彦

2002年にザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の大ファンだったTHE ALFEEの坂崎幸之助を加えて、加藤和彦と北山修が新たなフォークルを結成したのはアル…

TAP the SONG

発売中止になったフォークルの「イムジン河」は国境を越え、時間を超えて日本人の歌になった

1967年のクリスマスにレコードが発売されたシングル盤の「帰って来たヨッパライ」が驚異的なヒットを記録し、京都のアマチュアだったザ・フォーク・クルセダーズは日本…

悲しくてやりきれない

TAP the SONG

「イムジン河」のかわりに加藤和彦が作った「悲しくてやりきれない」の奥深さ

ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」はシングル盤が発売される前日、東芝レコードの判断によって発売中止が決まった。 レコードは店頭に並ぶことなく回収されて、…

TAP the SONG

1970年に北米をツアーで回った加藤和彦の体験から生まれた「あの素晴しい愛をもう一度」

1年間だけという約束でメジャー・デビューしたザ・フォーク・クルセダースは、約束通りデビューから1年後の1968年10月に解散した。 北山修は京都で医学生の生活に…

TAP the SONG

加藤和彦が「ミカと結婚するから、その祝いに作ったことにしよう」と言った歌~「あの素晴しい愛をもう一度」

ザ・フォーク・クルセダース時代からパートナーを組んでいた加藤和彦と北山修(きたやまおさむ)、この二人のソングライターが作った歌の中で、もっとも知られる代表曲が「…

TAP the SONG

来日公演でジーン・ヴィンセントが歌った「オーバー・ザ・レインボウ」の静かな衝撃

映画『女はそれを我慢できない』が1957年に日本で公開された時、たくさんの若者たちの目を釘付けにしたのは、動くロックンロールの強烈な衝撃だった。 なかでも評判に…

10 / 30<<...89101112...>>

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ