「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

りりィが17歳の時に初めて書いた歌~「愛」に込められた孤独な少女の叫び

りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」の設立を企画したのは1966年のことだった。 その時期にゴス…

TAP the SONG

追悼・りりィ~哀切きわまりない「心が痛い」と、ヒット曲の「私は泣いています」

1952年2月17日に福岡県に生まれたりりィは、ロシア系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。朝鮮戦争に従軍した父は、彼女が生まれる前に戦死し…

TAP the SONG

高倉健の代表曲「網走番外地」は、なぜ放送禁止歌として扱われていたのか

報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の映像作品を手がけるほか、作家としての著書も数多くある森達也が書き記した「放送禁止歌」(知恵の森文庫)は、放送禁止歌…

TAP the SONG

ジョニ・ミッチェルの哲学的な歌詞、「Both Sides Now / 青春の光と影」

1967年3月の初頭。ジョニ・ミッチェルは、後にノーベル賞を受賞する作家、ソール・ベローの「Henderson the Rain King(雨の王ヘンダソン)」…

TAP the SONG

途方にくれていた桑原あいをモントルー・ジャズフェスで励ましたクインシー・ジョーンズの言葉

2015年7月、ジャズ・ピアニストの桑原あいは、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで開かれたソロピアノ・コンペティションに日本代表として出演し、生きてい…

TAP the SONG

「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉で始まった日本語のロック~はちみつぱい「塀の上で」

2000年夏、「5人で歌う、5人の“ビューティフル・ソングス”」というキャッチコピーがついたコンサート、「Beautiful Songs(ビューティフル・ソング…

TAP the SONG

デュアン・オールマンはなぜウィルソン・ピケットを説得して「ヘイ・ジュード」をカヴァーさせたのか?

ビートルズの18枚目のシングル「ヘイ・ジュード」は1968年8月末に発売されると、9月28日には全米チャート1位になって9週間連続で首位の座をキープするという大…

TAP the SONG

岩谷時子にとって懐かしのレコード~宝塚時代の越路吹雪が可愛らしい声で歌った「ブギウギ巴里」

越路吹雪と岩谷時子は40年近くもの間、お互いに深い友情で結ばれていた。 昔から女同士の友情は成立しないとか、長くは続かないとよく言われていたものだが、二人は宝塚…

TAP the SONG

岩谷時子に魂を入れてもらって誕生したザ・ピーナッツの名曲「ウナ・セラ・ディ東京」

作曲家の宮川泰はザ・ピーナッツのために書いた「東京たそがれ」という曲が、実はあまり好きでなかったという。 最初にこの曲を作り始めたときは、とにかく暗いメロディで…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。最初の1行の歌詞…

TAP the SONG

ニュースが不況を喋い、ジングルベルに街がうき足だった夜~甲斐バンド「かりそめのスウィング」

ビート・ジェネレーション以降のアメリカを代表する作家のチャールズ・ブコウスキーの「Charlie, I’m pregnant(チャーリー、私は妊娠している)」と…

TAP the SONG

フランスに生まれた反戦歌の「大統領殿」をフォークル時代から歌い継いできた加藤和彦

2002年に、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の大ファンだったTHE ALFEEの坂崎幸之助を加えて、加藤和彦と北山修が新たなフォークルを結成したのは、…

6 / 30<<...45678...>>

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ