プライマル・スクリームが1991年に発表した3枚目のアルバム『スクリーマデリカ』。
ギター・ポップ、あるいはガレージ・ロックを発信してきた彼らが、はじめてアシッド・ハウスを取り入れたこの意欲作は、セールス的にも成功を収め、彼らの出世作となった。
しかし、彼らはその場所に留まろうとはせず、その後もダブをはじめとしたエレクトロを取り入れたり、カントリーやブルースを押し出した作品を発表したりと、多種多様なジャンルのサウンドを生み出してきた。
そんな変幻自在なバンド、プライマル・スクリームをデビューから30年以上に渡ってバンドを牽引してきたのが、フロントマンのボビー・ギレスピーだ。
1962年6月22日生まれのボビーは、スコットランドのグラスゴーで生まれ育った。
両親は共に音楽好きで、レコードをたくさん持っていたわけでなかったが、父はよく家でレイ・チャールズやフォー・トップス、ローリング・ストーンズなどを流し、母親はエルヴィス・プレスリーやシュープリームスが好きだったという。
そうして両親とともにソウルやリズム・アンド・ブルース聴いているうちに、自然と音楽が好きになるのだった。
ボビーが10代という多感な時期の大半を送った1970年代、ロック・シーンは目まぐるしく変化していった。
1970年代前半にはグラム・ロックやハード・ロックが人気を集めた。この頃ボビーは、学校のクラスメイトからT・レックスやデヴィッド・ボウイを教えてもらい、グラム・ロックを聴いていたという。
そして1976年、ロンドンを中心にしてパンク・ムーヴメントが巻き起こる。
シンプルなコードと衝動的なエネルギーは、ロックンロールへの原点回帰ともいえるが、そこに若者の社会に対する不満、怒りが重なり、パンクは未だかつてないほど過激なムーヴメントへとなっていった。
その中心的存在だったのが、ジョニー・ロットンらによって結成されたセックス・ピストルズだ。
ボビーはピストルズからの影響について、2008年にガーディアン紙でこのように話している。
「僕にバンドをやりたいと思わせてくれたのがジョニー・ロットンだった」
ボビーの心を掴んだのは、ジョニー・ロットンの怒りに満ちた言葉、そしてピストルズの過激なプロモーションだったという。
「ジェイミー・レイドが手がけたエリザベス女王の目が破かれたポスターを初めて見たとき『マジかよ、僕と同じくらいあのろくでなしどもを嫌ってる連中がいるなんて』って思ったよ。愕然としたね」
そのポスターはセックス・ピストルズが1977年にリリースしたシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のジャケットにも使われている。
イギリス政府とエリザベス女王に対する、この上なく挑発的なジャケットだが、その内容もまた、彼女らへの不満を爆発させた内容となっている。
神のご加護を女王に
アイツは人でなしだからな
イングランドの夢想に未来なんてないぜ
のちにボビー・ギレスピーもまたプライマル・スクリームで過激なメッセージを発信しているが、そこにはピストルズへの憧れ、あるいは対抗心のようなものもあったのかもしれない。
ソウル、R&B、ロックなど様々な音楽を聴くことで育まれた様々な音楽を取り込む感性、そしてセックス・ピストルズをはじめとするパンク・ムーヴメントの中で学んだメッセージ性、それらはのちにボビー・ギレスピーとプライマル・スクリームの大きな武器となったのである。