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ショパンの命日に寄せて〜恋をして、失恋を経験して、あの名曲が生まれた!

2015.10.17

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10月17日は“ピアノの詩人”ことフレデリック・フランソワ・ショパンの命日です。
珠玉のピアノ曲を数多く残したショパンは、晩年まで暮したパリの地で39歳を迎えた年にこの世を去った。それは今から166年前のこと。
その死因は明らかになっておらず、一般的には「肺結核だった」とされている。
死後、彼の遺言に従って葬儀の前に取り出された心臓はアルコール漬けにされて、姉のルドヴィカによって祖国ポーランドに持ち帰られ、クラコフスキ区の聖十字架協会に収められた。
ショパンの心臓は第二次世界大戦中に避難のため持ち出された時を除き、今でもその教会で眠っているという。
 

ショパンは実に恋多き音楽家だったといわれている。
彼にとっては恋愛が“曲作りのインスピレーション”の源だったようだ。
最初の恋人は、彼がピアニストとして華やかなデビューを果たした19歳の時に出会ったコンスタンチア・グワトコフスカだった。
彼女はワルシャワ音楽院で声楽を学ぶ学生で、ショパンは後に作曲した「ピアノ協奏曲ヘ短調」の抒情的な第2楽章に“初恋の人へのひたむきな想い”を込めたという。


2番目の恋人デルフィーナ・ポトツカとは、パリの社交界で知り合あった。
歌手だった彼女は美しさに加えて教養も高く、ショパンはすっかり虜になってしまったという。
友人達から「彼はデルフィーナの歩いた後の地面にひれ伏した」と揶揄されながらも、ショパンは彼女に捧げる気持ちを「小犬のワルツ」として残した。


そして彼は25歳となった年に、第3の恋人マリアと出会う。
それは、たまたま立ち寄ったドイツのドレスデンでの“偶然の再会”だった。
マリアはヴォジンスキ伯爵の令嬢であり、彼の幼友達でもあった。
久しぶりに会った彼女が、魅力的な女性に成長しているのを見て、一目惚れしてしまったのだ。
彼女はピアノも上手で「ついに理想の女性とめぐり会えた!」と、ショパンは真剣そのものだったが…この恋も長く続くことなく終りを迎える。
そして彼は、彼女と共に淡く消え去った気持ちを「別れのワルツ」のメロディーに乗せたという。


1836年、失意の日々を送る彼(当時27歳)に、友人であり音楽仲間でもあった作曲家のフランツ・リストが一人の女流作家(当時32歳)を紹介する。
それが“ショパン最後の恋人”といわれたジョルジュ・サンドだった。
当時としては珍しかった“自立した女性”に、彼は次第に惹かれていった。
その後“作曲家ショパン”は円熟期を迎え、彼女と約10年間共にした生活の中から「ピアノ・ソナタ変ロ短調」など数々の名曲を生み出してゆく。
そして、彼女と別れて2年後…ショパンはこの世を去る。


昔も今もアーティストは、恋をして、失恋を経験しながら名曲を紡いできた。
聴き手も然り、恋をして、失恋を経験しながら音楽や歌を求めてきた。
先進国、発展途上国、戦争をしている国、貧しい地域、本当の豊かさを見失った街…様々な人間たち(動植物)が同じ時間軸に暮らすこの世界。
たとえこの先どんな時代になっても、私達の“恋するハート(心臓)”は鼓動を打ち続けることだろう。
私達が人間であるかぎり、水や食料やエネルギーと同じように「恋」「音楽」も必要不可欠なものであると信じていたい。

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