「史上最も成功したソロ・アーティスト」とギネスに認定されたエルヴィス・プレスリー。
「史上最も成功したグループ・アーティスト」とギネスに認定されたビートルズ。
新旧を代表するスーパースター同士による面会が実現したのは、1965年8月27日のことだった。
この年の夏、ビートルズは全米ツアーの真っ最中だった。8月15日にはニューヨークのシェア・スタジアムでコンサートを開催し、5万6千人という当時としては前人未到の動員数を記録している。母国イギリスのみならず、アメリカにおいてもビートルズの人気は圧倒的だった。
一方のエルヴィスは人気絶頂だった1958年に徴兵され、2年後に除隊してからはステージを離れて映画の世界に活動の場を移し、スクリーンの向こう側のスターとなっていた。
ビートルズを乗せたリムジンが、ロサンゼルスにあるエルヴィス邸に到着したのは、夜の10時頃。極秘での面会だったにも関わらず、門の前には数百人のファンが集まっていたが、警察による厳重な警備が敷かれていたこともあり、スムーズに事は進んでいった。
円形のリビングルームへと招き入れられたビートルズの4人は、ひどく緊張していた。彼らにとってエルヴィスは最大のアイドルだったからだ。中でもジョン・レノンはエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」を初めて聴いたときに、「世界が変わってしまった」というほどの衝撃を受けたという。
彼らはスタジオ・アルバムでこそエルヴィスのナンバーをカバーしていないが、デビュー前は何十曲もレパートリーに入れていた。
エルヴィスは音の出ていない大型のカラーテレビを眺めながら、ソファーに座ってベースを弾いていた。顔を合わせた彼らは、取り巻きも含めて自己紹介をすませたが、その後は中々会話が続かず、しばし沈黙が流れるのだった。
やがてエルヴィスが「君たちがただ座って僕を見ているだけなら、僕は寝てしまうよ」と言って笑うと、「それならちょっと楽器を弾いたり歌ったりしてみようか?」と提案した。
そうして楽器が用意されてセッションが始まると、ようやく緊張の糸も切れていった。エルヴィスはギターでなく、練習中だというベースを手にしていたので、ポール・マッカートニーはここぞとばかりに話しかけた。
「彼がベースにハマっているのはこの上なく嬉しかったよ。それで『僕にもちょっと弾かせてもらえないかな、エル…』って声をかけたんだ。その瞬間、仲間になれたんだ」
ジョン・レノンによれば、最初に演奏したのはシラ・ブラックの「ユーアー・マイ・ワールド」だったという。
1時間ほどが過ぎた頃、彼らはセッションを終えてトークに戻った。さきほどまでとは違い、今度は互いのツアーでのエピソードや、飛行機で移動することに対する不安、車のことなど色々なことを話した。
気がつけば時刻は深夜の2時となり、4時間に及んだ面会はお開きとなった。
両者の間には、決して不安要素がないわけではなかった。エルヴィスはアメリカのマーケットがイギリスに奪われている現状に危機感を抱いていたし、ビートルズのメンバーも、映画スターになってロックンロールを歌わなくなったエルヴィスに不満を感じていた。
ジョンはのちに「僕たち全員にとって忘れられない夜だった」と振り返っているが、一方では「エンゲルベルト・フンパーティンク(甘いマスクと声で人気のポピュラー歌手)に会っているみたいだった」とも発言している。
しかしながら互いの敬意が薄れることはなかった。
エルヴィスはこの面会をきっかけにビートルズ、特にジョンを嫌いになったという話もあるが、エルヴィスのロード・マネージャーで盟友でもあるジョー・エスポジートによれば、エルヴィスがビートルズの悪口を言っているのは聞いたことがなく、エルヴィスは面会のあとも4人に敬意を払っていたという。
実際にエルヴィスは、「ヘイ・ジュード」など何曲かを録音している。
ジョンもまた、1974年に出版されたロックスター達を描いたアートブック『ロック・ドリームス』の表紙で、エルヴィスと自分が並んでいることに対し、喜びを露わにしている。
「僕とエルヴィス! 夢が実現したわけだ。イギリス版の表紙を切り取って壁に貼ったよ。それにしてもアメリカ版の表紙は小さくてダメだ。だからイギリス版の表紙を額縁位入れて飾ったというわけさ」
(このコラムは2017年8月27日に公開されたものです)
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