1966年5月、日本におけるエレキブームの立役者だったブルージーンズのギタリスト、加瀬邦彦はバンドを脱退することを決意した。
原因は6月に来日する予定のビートルズの武道館公演にあった。
ブルージーンズが前座として出演することになり、ビートルズと同じ舞台に立てると喜んだのも束の間、加瀬は前座への取り扱いを聞いて全身に怒りを感じた。
ビートルズとの接触はもちろん、ステージを見ることも許されないと知らされたからだ。
コンサート当日は混乱を防ぐために警察と機動隊による徹底した警備が実施されることになり、前座の出演者はビートルズの本番中、鍵をかけた楽屋に閉じ込められることになっていたのだ。
スケールは違っても、国は違っても、同じ世代、同じ音楽を愛してきたミュージシャンではないか。
楽屋に入れて鍵をかける? フザケルナ!
これでは同じステージに立つことはできても、ビートルズを見ることも演奏を聞くこともできない。
飲みかけのコップの酒をテーブルに置くと、僕は叫んだ。
「やめる!俺はブルージーンズをやめて、客席からビートルズを見るよ」(注1)
加瀬はそれを敢然と実行して、客席でビートルズのライブを体験するのだった。
ブルージーンズから脱退したのを機に、加瀬は新しい時代の波に乗るため自分がリーダーとなって、ビートルズのような編成のバンドを結成しようと試みる。
メンバーの条件として加瀬が考えたのは、「全員ボーカルとコーラスができる」こと、「まだプロの世界に毒されていないフレッシュな学生がいい」ということだった。
加瀬は高校時代にギターを習ったのをきっかけに、親しくしていた先輩の加山雄三に相談して、大学の仲間などから候補者を探した。
こうして集まったメンバーによって誕生したのが、加山雄三によって命名された自然児、ザ・ワイルド・ワンズである。
4人が初めて顔を合わせたのは、ビートルズ公演の直前だった。
ドラムが植田芳暁、ベースが島英二、ギターが鳥塚繁樹、みんな若くはつらつとしていた。
加山さんがすごいブームで、可愛がってもらってたから、大ヒットしてた「君といつまでも」にビートルズのリズムを入れて、若さと海っぽいものを入れれば良いと単純に思って、それをテープに入れて、東芝レコードに持っていったらやろうと言うことになったの。(注2)
それが1967年に爆発するGSブームのさきがけとなり、GS史上最高のスタンダード曲になる「想い出の渚」の原曲だった。
まだ結成から2ヶ月にもかかわらず、ビートルズと加山雄三を擁する東芝レコードから9月にデビューすることが決まった。
さっそく加瀬が作曲したメロディをもとに、フォーク・ロック調のデビュー曲が完成した。
ところが発売元だった東芝レコードの担当部長と、そこから一悶着が起こった。
加瀬は自信作の「想い出の渚」で行こうと思っていたのに、B面用の「ユアー・ベイビー」をA面にしたらどうかと言ってきたのだ。
だが、加瀬は猛烈に”喧嘩”して自分の主張を通して、ザ・ワイルド・ワンズは「想い出の渚」でデビューを飾り、
エポックメイキングな大ヒットを放ったのだった。
それから40年が経った2006年11月2日、ザ・ワイルドワンズ結成40周年のライブが日本武道館で行われた。
加瀬はそこで「僕たちは40年前ここでビートルズを見て、このステージに立ちたいなと思った。いま夢がかなった」と、集まった1万人の観客たちに感慨深く語りかけたのだった。
(注1)引用元 加瀬邦彦著「ビートルズのおかげです」(えい出版社)
(注2)引用元「グループ・サウンドのすべて GSオールヒット曲集」(ペップ出版)
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