数々のヒットソングを放ってきたジュリー。
彼が27歳になる年に唄った「時の過ぎゆくままに」(1975年)は、自身が主演を務めたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として大ヒットし、自己最高記録(累計91.6万枚)となる売り上げを叩き出した。
その頃、彼の才能と可能性を最大限に引き出した仕掛人がいたという。
当時TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦。
彼こそが“ジュリーを売った男”である。
1977年にリリースした「勝手にしやがれ」(累計89.3万枚)で、日本レコード大賞・大賞、日本有線大賞・大賞、東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞、東京音楽祭世界大会・銀賞と、文字通り賞レースを“総なめ”にする。
いずれも彼が30歳を迎える前の出来事だった。
──今回ご紹介するこの「コバルトの季節の中で」は、まさに黄金期を迎えようとしていた彼の17枚目のシングルとして1976年に発表されたもの。
クレジットには作曲:沢田研二、作詞:小谷夏と記されている。
小谷夏とは演出家の久世光彦のペンネームである。
ジュリー自身が書き下ろした曲に久世が詞を乗せるという、並々ならぬ“思い入れ”を感じずにはいられない楽曲である。
「時の過ぎゆくままに」と「勝手にしやがれ」の2曲のビッグヒット間(はざま)で、フランスでのリリースも合わせて数曲のシングルがリリースされているが…何れも「連続ヒット!」というわけにはいかなかった。
そんな数曲の中でも、この「コバルトの季節の中で」は1971年のソロデビュー以降、ジュリーが最初に自分で作曲したシングル曲としてファンの間では非常に人気の高い曲だという。
久世が乗せた歌詞には、主人公が愛する人をすべて肯定し、ずっと見守っていきたいという思いが綴られている。
それはまさにジュリーに心から惚れ込んだ久世の気持ちが、そのまま投影されているかのような内容だった。
彼はこの時期、プライベートでも“変化の時期”を迎えていた。
この「コバルトの季節の中で」を発表した前年の1975年6月4日に、7年間の交際を経てザ・ピーナッツの伊藤エミ(当時34歳)と入籍する。
その直後に若気の至りで2度の暴力事件を起こし、約一ヶ月間の謹慎生活を送り…7月26日にこの歌のレコーディングと共に活動を再開する。
彼自身、自分を見つめ直し、再出発の思いを込めて作った曲だったのかもしれない。
当時は「テレビでジュリーを見ない日はない」と言われたほどの売れっ子だった彼にとっては、皮肉にもこの謹慎期間中が夫婦水入らずの時間だった。
久世が書いたこの優しいラブソングを、彼は愛する新妻のために歌ったのかもしれない…
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