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沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲〜

2017.06.24

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日本を代表する歌手、沢田研二。
彼はザ・タイガースでデビューした19歳から現在に至るまでの約50年間、毎年欠かすことなくレコーディングし、作品を発表し、ツアーを行ってきた。
この実績は、日本はおろか海外でも類を見ない偉業といえるだろう。
還暦を過ぎて“言いたいこと”を歌うスタイルをより濃く打ち出しながら現在もコンサートを中心とした活動を続けている。
そんな彼が長いキャリアを通じて、一度だけ海外進出を試みた時期がある。
1973年、25歳の時に歌った「危険なふたり」で日本歌謡大賞の大賞を受賞し“タイガースのジュリー”からソロ歌手・沢田研二へと転身した翌年以降、彼は“次へのステップ”を強く意識しはじめていた。
1974年1月にフランスに渡り、MIDEM(毎年1月カンヌで開催される世界最大規模の国際音楽産業見本市)に参加するのを皮切りに、9月には再びヨーロッパを訪れ、ロンドンのポリドールで12曲、フランスのポリドールにて3曲レコーディングを行う。
そして1975年1月、イギリスにてシングル「The Fugitive(愛の逃亡者)」と同タイトルのアルバムを、フランスにてシングル「Mon amour, je viens du bout du monde」をリリースし海外デビューを果たす。
それは彼が27歳を迎えた年の出来事だった。


振り返ればこれまでもピンクレディー、矢沢永吉、松田聖子、久保田利伸、 NOKKO、ドリームズ・カム・トゥルーなど、国内で一定の成功を収めたポップス系歌手が海外進出を試みてきたが…誰一人として異国の地でヒットを飛ばすことはなかった。
ところが“KENJI SAWADA”こと沢田研二の海外進出は、他の歌手とは違うものだった。
フランスで「Mon amour, je viens du bout du monde」に火がつき、ラジオのチャート番組で最高第4位を獲得、レコード会社の発表ではフランス国内のみで20万枚を売り上げたという。
これは、日本とフランスの人口を比較すれば充分な成績といえる。
同曲はフランスでのヒットに伴って、スイス、カナダ、オーストリア、ギリシャ、ノルウェー、ベルギー、オランダなどヨーロッパ他各国でリリースされている。
また、国内では作詞家・山上路夫が日本語詞をつけた「巴里にひとり」もオリコンで最高5位、20.3万枚の売り上げを記録した。


後年、彼はこの海外進出を「日本での宣伝のための活動だった」と述懐している。
つまり“箔付け”のためであって「本気で世界進出を目指したわけではなかった」と言い切っているのだ。
そんな本人の意向とは別に、このヒットをきっかけにフランスでのリリースが続く。
同年の5月には「Attends moi」、10月には「Fou de toi」をリリース。
そして翌1976年1月には、フランスで初のアルバム『KENJI SAWADA』をリリースする。
1978年までにシングル計7枚、アルバム2枚をフランスでリリースすることになるが…そこにはレコード会社が期待した“2匹目のドジョウ”はいなかった。


27歳を迎えた1975年。
海外進出と平行して、彼は国内においてキャリア最大のヒットとなる楽曲と巡り逢う。
──70年代、TBSの演出家として名を馳せていた久世光彦は『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』など、人気ドラマの仕掛人であったが、その一方で、歌謡界のヒットメーカーとしてもその才能を発揮していた。
昨今では定番となっているドラマタイアップによるヒット曲の先駆けだったのだ。
そんな久世が手がけたTBSドラマ『悪魔のようなあいつ』のテーマ曲として沢田研二が歌ったのが「時の過ぎゆくままに」である。


当時、久世光彦は、既に時代の寵児としてトップに君臨していた沢田研二に心酔しきっていた。
企画は箱根の温泉宿で、作詞家の阿久悠と二人で作ったという。
ドラマの原作は阿久悠、脚本は長谷川和彦、音楽は井上尭之・大野克夫、さらに漫画版の担当は上村一夫が担当。
まさしく当時の“沢田・久世人脈”の総集結ともいえる豪華布陣であった。
久世はこの楽曲の誕生秘話として、こんなエピソードを語っている。

阿久悠と相談して、まず「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。
映画『カサブランカ』の「As time goes by」からのいただきである。
出来上がった詞を6人の作曲家に渡してそれぞれ曲をつけてもらった。
できてきた曲はどれも魅力あるものだったが、阿久悠と二人で一晩聴き比べて大野克夫のものを選ばせてもらった。

(久世光彦著『マイ・ラスト・ソング』より)


またこの年から、彼は公私共に“変化の時期”を迎える。
1975年6月4日、7年間の交際を経てザ・ピーナッツの伊藤エミ(当時34歳)と結婚。同年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式を行った。
同日、沢田の比叡山フリーコンサートにおいて夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行う。
彼はそのコンサートでブルーのラメ入りのアイシャドウをしてファンの前に現れる。
お茶の間に流れるテレビ番組では控えていた奇抜なヴィジュアルも、この時期から徐々にエスカレートさせていく。
1977年に一世を風靡した「勝手にしやがれ」ではパナマ帽を客席に飛ばすというパフォーマンスを、「サムライ」ではナチスを彷彿とさせる衣装に刺青、「ダーリング」では水兵のセーラー衣装、「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ血で染まった包帯を手に巻いた。
さらに「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹き、「OH! ギャル」では女優マレーネ・ディートリヒを真似たメイクで登場。
そして「TOKIO」では250万円の電飾衣装にパラシュートを背負い、「恋のバッド・チューニング」では青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンスを披露し、日本中に“ジュリー旋風”を巻き起こしてゆく。

──沢田研二の27歳は、海外進出、結婚、キャリア最大のヒット曲、そして最先端のヴィジュアルと、まさに“次へのステップ”を大きく踏み出した年だった。


■「時の過ぎゆくままに」『悪魔のようなあいつ』については、こちらのコラムで詳しく解説されています。
【久世光彦が作った沢田研二主演のドラマから生まれた「時の過ぎゆくままに」】
http://www.tapthepop.net/song/41353

沢田研二『KENJI SAWADA』

沢田研二『KENJI SAWADA』

(1976/ユニバーサルミュージック)


沢田研二『いくつかの場面』

沢田研二『いくつかの場面』

(1975/ユニバーサル ミュージック)

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