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ストーン・ローゼズの代役でグラストンベリー・フェスのヘッドライナーに抜擢されたパルプ

2015.08.25

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イギリス最大級のフェス、グラストンベリー・フェスティバル。
1995年、2日目のヘッドライナーに選ばれたのはストーン・ローゼズだった。
ところが、ギターのジョン・スクワイアがバイク事故によって大怪我をし、フェスへの出演はキャンセルとなってしまった。
そこで、急遽ヘッドライナーに抜擢されたのが、当時人気急上昇中だったパルプである。

パルプの下積み時代と苦難の道は長く、バンドの結成は1978年にまで遡る。

当時15歳だったジャーヴィス・コッカーを中心に結成されたパルプは、地元のシェフィールドで人気を集めて、1981年にはBBCラジオへの出演を果たしたが、バンドのメンバーが大学への進学を理由に脱退してしまう。

その後、新メンバーとともにパルプの活動を再開したジャーヴィスは、1983年にはレコード・デビューしたのだが、セールス的には全く振るわず人気に火がつくことはなかった。

ジャーヴィスは音楽での成功を諦めてバンドを解散、映像を学ぶためにロンドンの大学に入学した。
しかし、そこでアシッド・ハウスといった最新の音楽に触れたことや、新たなバンドメンバーと出会ったことをきっかけにパルプの活動を再開し、徐々に注目を集めていく。

アルバム『彼のもの 彼女のもの』で念願のメジャー・デビューを果たし、全英チャートで9位となったのは1993年のことだった。

Pulp-His-N-Hers

そして1995年5月にリリースしたシングル「コモン・ピープル」が全英2位の大ヒットとなり、グラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーにまで辿り着いたのだった。

とは言ってもこれほどの大きな舞台は彼らにとってはじめてであり、プレッシャーは大きかった。
急遽出演することになったためにホテルを押さえることができず、彼らはキャンプで泊まることになったことで、ジャーヴィスは眠ることができなかったという。

そして6月24日の土曜日、彼らは今までに見たこともないほどの大観衆の前に姿を現した。
会場からの歓声を聞いて不安や緊張が和らいだのか、彼らは渾身のパフォーマンスで駆け抜けるように全12曲を乗り切ってみせた。

ジャーヴィスはグラストンベリーでのパフォーマンスがパルプにとって大きなターニングポイントだったと語る。

「あれは僕らが有名になってから最初のショウだったんじゃないかな。
みんなが合唱してくれた瞬間、自分たちが別の世界に踏み込んだことを実感したよ」



グラストンベリー・フェスティバルから4ヶ月後の10月にリリースされた最新アルバム『ディファレント・クラス』は、発売から10日間で30万枚以上を売り上げてプラチナ・ディスクを獲得、見事全英アルバムチャート1位に輝く。

2015年に発表された「NMEが選ぶ、フェスティバルでの歴代ベスト・パフォーマンス」で、パルプは並みいる名演を押さえて5位にランクインした。
グラストンベリーでのパフォーマンスが、いかに多くの人たちの記憶に残ってるかを物語っている。




Pulp『Different Class』
Island

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