「両親は教育熱心だった。子供は大学に行って一流企業に入って…そんな思いが強かった。親戚が役所関係や公務員などお堅い職業ばっかりだったから余計にそういう考えになってたんだと思う。」
親の希望もあって中学受験をしたPANTAは、私立の海城中学(新宿区大久保にある中高一貫制男子校)に通うこととなる。
その後、バイクの窃盗事件に巻き込まれ…海城高校を自主退学する形となった彼は小平市(武蔵小金井駅)にある錦城高校に転校する。
地元埼玉の所沢から東京の海城高校〜錦城高校へと通う日々の中で、彼はしだいに新宿の街をうろつくようになったという。
「高校生になるとディスコだよね。当時“螺旋階段”っていうディスコっていうかゴーゴー喫茶があって、毎週土曜になるとそこに入り浸っていた。目的はやっぱり女の子だよ(笑)もっとも酒はまだ飲めなかったけど、コーラ飲んで発散して、みんなが不良を気取ってた。狭い店でぎゅうぎゅう詰めになって踊るんだ。テンプテーションズとかミラクルズ、フォートップスの“Reach Out I`ll Be There”なんかが流行っていたのを鮮明に憶えているよ。」
1968年10月21日、新宿駅でベトナム戦争反対を訴える学生らが暴徒化し、700人以上が逮捕される「新宿騒乱」事件が起きた。
反戦を訴えるはずの若者たちが、投石と放火で機動隊と衝突。
学生らは駅ホームに乗り込み、投石や放火でレールや車両などを破壊。
新宿区のホームページによると、学生のデモ隊4600人、群衆2万人が集まり、騒乱罪で734人が逮捕された。
当時、PANTAは18歳だった。
「その頃は上の世代がやっている学生運動とかチンプンカンプンだった。新宿騒乱はちょうど俺が関東学院大学に入学した年の出来事だったね。俺はあれには行ってないんだ。その頃の俺はバンドをやることしか頭になかったからね。」
高校時代の彼は髪を伸ばすこともなく、当時流行っていたアイビーファッションを着こなしてビートルズやキンクスを聴いていたという。
大学に入って初めて髪を伸ばし始めた彼は“ピーナッツ・バター”という4人組のバンドを結成する。
「メンバーとはどこで知り合ったんだっけ?(笑)同じ大学でもないし、地元が一緒でもなかった。ドラムの木村は多摩地区の清瀬、リードギターの三畑は青森出身、リズムギターの塩谷は国分寺の市長の息子、俺がベース弾きながら歌うバンドだった。」
ドラムの木村の兄がホリプロのマネージャーをやっていたこともあり、彼らはすぐにホリプロのオーディションを受けることとなる。
オーディションは当時赤坂の一ツ木通りの入り口にあったホリプロで行われた。
「奥の部屋に通されて待ってたら、20人くらい関係者がぞろぞろ入ってきて、その前で演奏をさせらたんだ。俺、その時シールドを忘れてきちゃって、その辺にあった短いコードを突っ込んでアンプにくっつくようにして無理矢理歌ったよ(笑)終わったらコードが抜けてて音が出てなかったみたいで(笑)それに気づかないくらい緊張してたんだろうな。なんの曲をやったかも憶えていないし。それでもなぜだかオーディションには受かったんだよ(笑)」
ホリプロの偉い人間との間で、こんな短い会話が交わされた。
「君たちはどういう音楽がやりたいんだ?」
「きれいなサイケデリックがやりたいんです。」
矛盾している答えだったことは彼にもわかっていた。
グループサウンズの熱がまだ残っていた時代、特に深い考えもなかったが“美しく流れるサイケデリックミュージック”とでも言っておけば、折衷案としては当たり障りないと思っての答えだった。
合格後、彼らは早速ホリプロが直営していた上野にある“東京”というジャス喫茶で演奏することになる。
選曲はBeacon Street UnionやFever Treeなど当時アメリカで頭角を現してきていたサイケデリックバンドのコピーだった。
「当時にしては結構マニアックな曲だったと思うよ。その時お客の中に外人もいて、歌っている最中に“俺は日本人なのになんで英語の歌を唄ってるんだろう?”と急に恥ずかしくなったんだ。それでも客のほとんどは日本人なのに、なんの疑いもなく誰も理解していない英語の歌を唄っている状況そのものが奇異なことなんじゃないかって、その時初めて思ったんだよね。」
ステージを終えた彼らに対して、ホリプロが出したリクエストはこうだった。
「その汚く伸ばした髪型をなんとかしなさい!」
彼らはその一回のライブのみでホリプロを辞めた。
「冗談じゃねぇ!プロダクションのあやつり人形になんかなるもんか!ってね(笑)オックスが失神ロックをやってた時代だからね。ホリプロとしてはオックスの第二弾みたいなバンドを売り出したかったんだろうね。ピーナッツ・バターはそれで解散。リズムギターの塩谷はそのままホリプロに残って和田アキ子のバックなんかをやってたよ。」
その後、彼は新たなバンドMOJOやスパルタクス・ブントを経て…1969年、19歳の頃にTOSHI(石塚俊明)と共に”頭脳警察”を結成。
新左翼・全共闘・全学連などによる政治運動が激化した時期の最後、彼らは1972年にレコードデビューを果たす。
洋楽のコピーが当たり前の当時、”日本語の歌詞”という珍しさもさることながら、オリジナリティー溢れる音楽性で高い支持を得る。
日本のロックの元祖とも評され、若いミュージシャンに与えた影響は絶大で多くのフォロワーを生み出すこととなる…
<引用元・参考文献『PANTA自伝 1 歴史からとびだせ』PANTA (著)広瀬陽一(著)/ K&Bパブリッシャーズ>
【佐々木モトアキ プロフィール】
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【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
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