シャリフはそいつが気に入らないのさ
カスバをロックしろ
カスバをロックで揺らすんだ
ザ・クラッシュの「ロック・ザ・カスバ」は、アメリカ進出後、彼らにとって最大のヒットとなったわけだが、この曲の成功に大きな役割を果たしたのが、始まったばかりのMTVだった。
1981年。テキサス州オースチンの撮影現場には、後にアーノルド・シュワルツェネッガーの『ラスト・スタンド』(2013年)に町長役で出演する若き日のティトス・メンチャカの姿があった。
「あのビデオが撮影されたのは、MTVが始まる何ヶ月か前のことです。私は当時、演技を学ぶ学生でした。それまでも舞台に立った経験はあったのですが、カメラの前に立つということは、また別の獣に相対することでした」
ティトスはシーク教徒の役を演じることになっていた。クラッシュの楽曲をプロモーションするための音楽ビデオを作るのだと説明されても、彼にその意味はよくわからなかった。
だが、彼の風貌と6フィート3インチという長身は、その役にうってつけだったらしく、日給350ドルという数字はティトスには魅力的なものだった。
このビデオをディレクションしたのは、映画監督になる前のドン・レッツである。
1959年、ロンドンに生まれたドンは、10代で<アクメ・アトラクションズ>というブティックを経営し始めた男だ。両親がジャマイカからの移民で、ボブ・マーリーの大ファンだった彼の店に置かれたジュークボックスからは、1日中レゲエやダブが流れていた。
この店にザ・クラッシュをはじめとするミュージシャンたちが引き寄せられるのは、時間の問題だった。そんな縁から、ドンにミュージック・ビデオのディレクションを任せたのである。
シャリフはそいつが気に入らないのさ
カスバをロックしろ
カスバをロックで揺らすんだ
カスバ。それはアルジェの丘につくられたオスマン帝国の城砦だ。中東の一部では、ロック・ミュージックを聴くことが禁止されている、と耳にしたジョー・ストラマーが考え出したフレーズである。
この曲には、アラブの言葉だけでなく、ユダヤ語、ウルドゥー語など、様々な文化の言葉が登場する。ジョーが言いたかったのはシンプルなメッセージである。
みんな、ロックしろ!
ドン・レッツはそんなジョーの思いを、アラブの民とユダヤの民が一緒に砂漠で踊る様子を描くことで表現してみせた。
ところで、この曲を書いたのは、ジョー・ストラマーでもミック・ジョーンズでもない。ドラムスのトッパー・ヒードンだ。
「ドラム・トラックを取り終えたと思ったら、次はピアノ、次はベースと彼は走り回ったのさ」と、ジョーはトッパーについて語っている。
だが、残念ながら、オリジナルの歌詞はあまりに卑猥すぎた。そこでジョーが、クラッシュらしい歌詞を乗せ変えたのである。
皮肉なことに、この直後、トッパーはドラック中毒が原因でバンドを去ることになる。そして、曲はアメリカで大ヒットする。アメリカで曲が大ヒットすることは、イギリスで成功するのとはまったくレベルが違っていた。
同じ姿勢で曲を書き、演奏し続けることはもうできない。ジョーはそう感じ、バンドを解散させる道を選んだ。
それから5年。
アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラクを空爆することで、いわゆる湾岸戦争が始まった。
アメリカ軍の爆弾に「ロック・ザ・カスバ」と記され、曲が空爆のテーマソングとして使われたことを知ったジョーは、ひとり、涙したという。
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