ここから逃げ出さなくちゃいけないのさ
本当に孤独なんだ
だからここから逃げ出さなくちゃいけないのさ
ニューヨークは僕の住むところじゃない
ニューヨーク進出は失敗だった。ペンシルヴァニアからレコード・デビューを夢見てニューヨークにやってきたジム・クロウチと妻のイングリッドだったが、その夢は叶わなかった。もうこれ以上、ニューヨークに留まる金は残っていなかった。
ふたりは夜、車でニューヨークを後にした。ワシントン・ハイツからジョージ・ワシントン橋を渡り、対岸のニュージャージー州フォートリーへ向かった。イングリッドにはバックミラーに映るマンハッタンの光が見えた。
だが、ジムはまっすぐ前を向き、車を走らせた。そしてハワード・ジョンソン・ホテルの駐車場に車を停めた。宿泊する金はなかった。
「休んでいこう」と、ジムは言った。そしてシートを少し倒し、目を閉じた。このまま走っていってもよかったのに、あえてマンハッタンの対岸で車を停め、目を閉じる夫の無念さが、すぐ隣で鼓動しているのだ、とイングリッドは思った。
ペンシルヴァニアへ戻ってからの計画は、決めてあった。ふたりはペンシルヴァニアの片田舎にあるリンドンに向かう予定だった。
そこはルート30沿いにある小さな村で、1971年当時、人口は100人少ししかいなかった。ジムとイングリッドは、廃屋となった農家をタダ同然で借りられることになっていた。トラックでも運転するさ、とジムは言っていた。
ここから逃げ出さなくちゃいけないのさ
本当に孤独なんだ
だからここから逃げ出さなくちゃいけないのさ
ニューヨークは僕の住むところじゃない
リンデンの暮らしにも慣れてきた頃だった。
「赤ちゃんができたの」
イングリッドの言葉に一瞬、ジムは大きく目を見張ったまま、立ち尽くしていた。彼の中で、喜びと困惑が交錯していたのだ。
イタリア系アメリカ人の長男として生まれたジムには、家系を継ぐ、という使命があった。子供ができることは喜び以外の何ものでもなかったが、明日からはこれまで以上に一家を背負う責任が増すことを意味していた。音楽を忘れる時なのかも知れなかった。だが、歌は彼から離れることはなかった。
そのまさに、夜のことである。ジムは新しい歌を書いた。
もし、時間を貯められるなら
まず僕がしたいのは
君との宝のような時を
日々貯めて
もう一度
君と過ごすこと
「タイム・イン・ア・ボトル」である。それからも次々と、ジムは曲を仕上げていった。
ニューヨークに向かう前、ラジオの広告営業でペンジルヴァニアのダウンタウンを歩き回っていた時に出会った、酒場やプール・バーの男たちを描いた「リロイ・ブラウンは悪い奴」や「ジムに手を出すな」。
イングリッドのお腹の中で新しい生命が育っていくのと歩調を合わせるように、ジム・クロウチのソロデビュー・アルバムに収録されることになる楽曲たちは、ペンシルヴァニアの田舎町で静かに育っていったのである。
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