TAP the DAY

GSのザ・フローラルからエイプリル・フールを経て「はっぴいえんど」へ至る道

2017.04.01

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1968年2月に結成されたGSの「ザ・フローラル」は、日本のモンキーズ・ファンクラブが公募したバンドだった。

ミュージカラーレコードという毛色の変わった会社から8月に発売されたデビュー曲「涙は花びら」は、ドノヴァンに代表されるブリティッシュ・フォークの雰囲気を持つクラシカルな曲で、人気イラストレーターの宇野亜喜良が作詞し、GSのヒットメーカーだった村井邦彦が作曲した。

しかし宇野亜喜良のデザインしたコスチュームが話題になったものの、レコードは全く売れなかった。

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シングル第2弾の「さまよう船」も不発に終わたフローラルは、新宿歌舞伎町のダンスホールや六本木のディスコで”営業”中心の日々を過ごすことになる。

やがてGSのアイドル路線にとどまりたいメンバーと、ニューロック路線で行きたい柳田や小坂らに方向性が別れたので、GSに見切りを付けた会社は本格的なロックバンドへ進む方向に舵を切った。
そこで新たなベーシストにと白羽の矢が立ったのが、立教大学生の細野晴臣である。

細野が「ドクターズ」というバンドを柳田ヒロの兄と組んでいた縁で、ベースの腕とセンスを買われてスカウトされたのだ。
小坂によれば六本木のディスコにフローラルを見にきた細野を、ステージが終わってからこんな具合に勧誘したという。

ちょうどもらったばかりの給料袋があって、それを細野くんの目の前でちらつかせて誘ったんだよ。
いいだろ、毎月5万円は保証されてるよって見せるわけ。
そのころの5万円といったら、たいしたものだったんだ。
会社員の初任給が3万円くらいの時代だからね。


細野には給料もさることながら、バンドに参加する大きな理由があった。

もちろん、5万円も大きな魅力だったけど、いちばん魅力的だったのは、新しいバンドにしてレコーディングすることがもう決まってるっていう話だったんだ。
『アルバムを1枚レコーディングしたい。そのためには新しいメンバーが必要だ』ってヒロに言われたの。


当時の細野にはアーティスティックで新しいことをやりたいという夢のために、自分たちで思うようなレコードを作れることが魅力的だった。

ベースが細野に決まったので、次はドラムスを誰にしようかという話になった。
松本隆か林立夫のどちらかにしようと思っていた細野だったが、林はその頃に鈴木茂や小原礼とスカイというバンドを始めたところだった。
そこで松本に声をかけることにし、オーディションが行われることになった。

1年前に細野が松本からオーデションすると言われて、ジミヘンの「ファイアー」と「紫の煙」を完コピして臨んだ時と、奇しくも真逆のシチュエーションだった。

過去にGSのオーディションに落ちたことがあった松本は、「また落ちるだろうな」と思いながらを受けたという。
だがドアーズの曲を何曲か叩いてみて、「これなら使える」といわれて無事に合格した。

新生フローラルのリハーサルが始まったのは1969年3月だが、フローラルという名前がいやだった細野は、メンバーのみんなといっしょに思いつく英語の名前をあげていった。
「エイプリル・フールはどうだ」と細野が言うと、松本が「それでいこう」と返したのでバンド名が決まった。

メンバーは小坂忠(ボーカル)菊池英二(ギター)柳田博義(キーボード)細野晴臣(ベース)松本隆(ドラム)の5人。
柳田の弾くオルガン主体の曲ではヴァニラ・ファッジやドアーズに近いサウンドで、ピアノ主体の曲ではブルース・ロックの影響が強く出るバンドだった。

全曲オリジナルで英語詞が中心のアルバム・レコーディングは4月2日、エイプリル・フールの翌日からテイチクのスタジオを借りて始まり、約2週間で終了した。

エイプリルアルバム

その後、エイプリル・フールは新宿の花園神社に近い「パニック」や、六本木の「スピード」などのディスコに出演した。
ライブではドアーズ、クリームなどのカヴァーが主体で、サイケデリック・ロックやアート・ロックらしいインプロビゼーションで評判になった。

しかしエイプリル・フールがバンド活動にのめり込んだのは、レコーディングを含めてもわずか2ヵ月ほどの短期間だった。

6月頃にはインプロビゼーション重視のロック・バンドを目指す柳田・菊池と、音楽を幅広く捉える細野・松本・小坂との間に溝が出来た。
夏頃には「アルバム発売と同時に解散」というシナリオが、各々のメンバーのなかで確定的になったという。

その頃を振り返って、細野はこんな発言を残している。

毎日、同じスタイルで同じ曲をやってるわけだから、もう腕だけが動いてるわけ。
ちょうど自動車を運転するみたいに感覚だけでやってるの。
そうすると、それだけじゃつまらないから、何かが入ってきちゃう。
一種、神がかってきちゃうわけ。もうお神楽の世界だよね。
そうすると、もうレコードよりすごい演奏になっちゃうの。
そういう意味では、エイプリル・フールっていうのは、ライブのほうがレコードより良かったバンドなんだよ。


噂を聞きつけていろんな人が見に来た。
大瀧詠一、鈴木茂、林立夫もやって来て、時にはセッションになることもあったそうだ。

アルバム『Apryl Fool(エイプリル・フール)』が9月27日に発売になり、そこでバンドは解散した。
細野と松本は、大瀧と鈴木を引き入れて「ヴァレンタイン・ブルー」を結成し、初ライヴを行った後に「はっぴいえんど」に改名するのである。


(注)本コラムは2015年4月1日に公開した「GSのザ・フローラルからエイプリル・フールを経てはっぴいえんどへ至る道」の改訂版です。

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