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藤圭子 ~日本語でブルースを体現するロック世代の女性シンガーが誕生した

2016.07.05

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藤圭子がデビューした1969年、日本の音楽シーンには明らかな傾向があった。
カルメン・マキの「時には母のない子のように」を筆頭に、ちあきなおみの「雨の慕情」、加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」など、若い女性シンガーが歌う暗い曲調の歌が発見されてヒットしていたのだ。

それらの歌の主人公に共通するのは、”孤独と切なさ”だった。
そのきわめつけが藤圭子のデビュー曲となった「新宿の女」である。

ありふれた夜の女のつぶやく自嘲的な歌詞、俗っぽい5音階のメロディーは当時にしても時代おくれで、いささか古めかしい歌だった。
だから”演歌の星”というキャッチフレーズ通りではあったのだ。

しかし、ハスキーな歌声は異様なほどに生々しく、そこから伝わってくる”孤独と切なさ”には不思議なリアリティがあった。

 「新宿の女」
 作詞:石坂まさを・みずの稔 作曲:石坂まさを

 私が男になれたなら
 私は女を捨てないわ
 ネオンぐらしの蝶々には
 やさしい言葉がしみたのよ
 バカだな バカだな
 だまされちゃって
 夜が冷たい 新宿の女


1969年にこの歌を支持したのは、明らかにロック世代の若者たちだった。
彼らがこぞってこの暗い歌に惹かれたのは何ゆえだったのか。

その年の1月、全共闘の学生たちによるバリケード封鎖で、半年以上も占拠されていた東京大学の安田講堂が陥落した。
第2次世界大戦が終わって四半世紀が経っても、東西冷戦は続いていたし、地域間や民族間の紛争は絶えることがなかった。 

ビートルズが登場した60年代前半から世界中に広がっていた、若者たちによる反抗の季節は終わりを迎えつつあった。
それまでの価値観を壊そうとした文化運動もまた、新たな地平を見い出せないまま変革のエネルギー失っていた。

漠とした未来への希望が幻想だったことに気づいた若者たちに、無力感や閉塞感が共有されたのは当然のことだった。

さほど良い楽曲とは思えない「新宿の女」を歌っていたにもかかわらず、藤圭子というシンガーが発見されたのは時代の空気感をそのまま、鏡のように反映していたからだろう。

そのハスキーで切ない叫びを際立たせるのが、細やかながらも力強く震える歌声のヴァイブレーションだった。
それを可能にする天性のリズム感、そこにはロック世代が意識していたビートとグルーヴがあった。
藤圭子が歌うと声の震えは風になって、聴くものの心に吹いてきたのである。

それがどちらかといえば歌謡曲や演歌的なものを敬遠して、ロックやジャズに親しんでいた若者たちの間で、熱烈に藤圭子が支持されるようになった理由だろう。
”孤独と切なさ”を抱えた若い男性だけでなく、女性たちにまでソウルが伝わったことで思わず歌声に振り向くひとが増えていった。

そうした人たちの間でひそかに好評だったのが、デビュー・シングルのB面曲だった「命ぎりぎり」である。

命ぎりぎり

いかにも自嘲的な歌詞と俗っぽい5音階メロディーは、A面の「新宿の女」とまったく同じ構造だったが、どこかで突き放したように自分を見ているクールな視点、生への抑えきれない切実な思いにはたかが歌謡曲という括りを超えた、不思議なリアリティが備わっていた。

とくに3番になって「♫ 飾った愛などいるものか」というフレーズには、パターン化された主人公の向こうから瞬間的に生身の藤圭子が浮かんできた。

 誰が泣こうと誰が笑おと 
 ネオンの町は
 背中あわせの人ばかり
 いいよ いいのさ
 飾った愛などいるものか
 いつか花咲く夢をみて
 生命ぎりぎり 
 生命ぎりぎり
 燃やして死ぬのさ





藤圭子は日本語の演歌で、ブルースを体現していた。

「♫ 生命ぎりぎり 生命ぎりぎり 燃やして 死ぬのさ」と、ハスキーな声で絞り出すように歌った瞬間に放たれるリアリティは、まもなく代表作となる「夢は夜ひらく」につながっていく。

ファースト・アルバムの中に入れる1曲として作られた「夢は夜ひらく」は、さまざまな聴き手が藤圭子の実像に重ね合わせて歌を聴くことで、つらい時代の空気感を受けとめながら力をもらえるものとなった。

1970年の3月にアルバムで発表された「圭子の夢は夜ひらく」は、ファンの間で圧倒的な支持を得て有線放送などでリクエストが急増し始めた。
そして当時の歌謡曲では考えられもしなかった、アルバムからのシングルカットという形で大ヒットを記録する。



 
 
しかし、藤圭子は音楽シーンに登場した時から、シンガーとしてha孤立した存在だった.
そして売出しの際につけられた演歌というジャンルにくくられてデビューしたために、いわば突然変異的な成功のフロックと見なされて、精神的にも肉体的にも信じられないほど酷使されることにもなった。

その過重な労働によってできてしまったのが喉のポリープで、それを摘出する手術を受けたために、藤圭子は持って生まれた最大の武器だったハスキーで切ない声を、永遠に奪われてしまうのである。

やがて自分が目指す音楽と自分に求められる音楽と間で、終わりのない葛藤を繰り返しながら音楽シーンからの引退を決意することになった。
 
それでも幸いなことに細やかながらも力強いヴァイブレーションの歌声と、他を寄せ付けない”孤独と切なさ”は一人娘の宇多田ヒカルに受け継がれたのである。

そして藤圭子から約10年後に、同じように18歳登場してカリスマ的な人気を博した後に、”生命ぎりぎり燃やして”しまったようなシンガー・ソングライターが現れた。
その尾崎豊の「I LOVE YOU」をカヴァーする宇多田ヒカルの歌声には、母と同じリアリティを感じさせる”孤独と切なさ”がはっきりとあった。

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