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ストーン・ローゼズのターニングポイントとなったブラックプールでのコンサート

2017.04.20

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1983年にイギリス北西部の工業都市、マンチェスターで結成されたザ・ストーン・ローゼズ。

その初期メンバーでありバンドの中心であるイアン・ブラウンとジョン・スクワイアは、共にパンク・ムーヴメント真っ只中で青春時代を送った世代だ。
しかし、彼らがストーン・ローゼズを結成したとき、すでにパンク・ムーヴメントは終焉を迎えていた。

若者たちはドラム・マシーンやシンセサイザーによって生み出されるクラブ・ミュージックに夢中になり、それらをロックに取り入れたニュー・オーダーなどのバンドが人気を集めていた。
ストーン・ローゼズもまた時代の変化とともに、パンクの影響を強く感じさせるエネルギッシュなサウンドから、スローでメロディアスでダンスビートを感じさせるようなサウンドへと変化していく。

そしてクラブや倉庫でのイベントなどで下積み時代を過ごし、1988年にインディーズの大手、ゾンバ・ミュージックのレーベル、シルバートーンと契約を果たすと、翌89年5月にファースト・アルバム『ストーン・ローゼズ』をリリースする。
ダンス・ミュージックからサイケデリック、フォーク、ファンクなど様々なジャンルを融合させたこのアルバムは、時代を代表する1枚として語り継がれることになる。

stone-roses

アルバムのリリースから3ヶ月後、彼らはマンチェスターの北西に位置し、海に面するリゾート地、ブラックプールのエンプレス・ボールルームでコンサートを催した。
そこは1896年に建設された歴史あるイベントスペースで、普段は政治家たちが話し合う場や、社交ダンス、ダーツの大会などに使われている。
1960年代にはストーンズやピンク・フロイドなどがコンサートの会場として使用しているが、1971年にモット・ザ・フープルが使用して以来、ロック・コンサートとしてはほとんど使用されていなかった。
なぜここをコンサートの場所に選んだのかという理由について、イアンはこう答えている。

「ブラックプールは単純なアイデアだったんだ。俺たちはただコンサートをやるより、1歩前に進んだことをやりたかったのさ。みんなに遠足をさせてあげたかったんだよ」


場内は収容人数の3千人を大幅に上回る4千人近い人たちがごった返していた。
彼らは“遠足”を楽しみ、ストーン・ローゼズの音楽に熱狂した。

ストーン・ローゼズは時代の変化の中で多種多様なファンを取り込んできた。
パンク・バンド時代からのファンもいればヒッピーの格好をした者、クラブで踊っている者など、普段は違う音楽を聴いているであろう人たちが、ストーン・ローゼズの音楽を通じて1つとなり、特別な一夜を過ごしたのだった。



このコンサートの成功をきっかけにストーン・ローゼズは全国区のバンドとなりコンサートの客は雪だるま式に増加、アルバム『ストーン・ローゼズ』も売り上げを伸ばし続ける。
秋には初来日を果たし、チケットは4日間で完売、見事にコンサートを成功させた。

そして翌1990年5月にはマージー川に浮かぶ島、スパイク・アイランドで4万人近い観客を動員した歴史的なコンサートを実現させることとなる。

ブラックプールでのコンサートは、マンチェスターの数あるインディーバンドの1つだった彼らが、完全にその枠を抜け出した瞬間だった。



(このコラムは2015年9月15日に公開されたものです)

The Stone Roses『The Stone Roses』
Sony

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