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「野暮ったい」という理由からレコード会社に相手にされなかったカーペンターズの2人に訪れたチャンス

2019.02.19

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のちにカーペンターズを結成することになるリチャード・カーペンターと妹のカレン・カーペンター。
2人が最初に注目を集めたのは、1966年のことだった。

学校に通いながらリチャード・カーペンター・トリオとして活動していた彼らは、この年にハリウッド・ボウルで開催されたアマチュア・コンテストに出場する。
そして巧みな演奏技術とアレンジの素晴らしさから、圧倒的な評価を集めて優勝したのである。

さらにこの年、リチャードは「トップ・オブ・ザ・ワールド」や「愛にさよならを」などを共に生み出すことになるソングライティングのパートナー、ジョン・ベティスと出会っている。
彼らは大学の友人らを加えて6人組のバンド、スペクトラムを結成した。

自分たちの音楽に自信を持っていたリチャードとカレンは、レコード会社と契約してデビューはもちろん、ラジオから流れてくるようなヒット曲を生み出し、プロのミュージシャンとして成功することを信じて疑わなかった。

しかし、ここから彼らは不遇の時代を送ることとなる。
いくつものレコード会社にデモ・テープを送るも、どこからも相手にされなかったのである。

当時のアメリカではロックやフォークが若者の人気を集めており、ポップスの売上は低下しつつあった。
さらに2人の住んでいたカリフォルニアではヒッピーによるムーブメントが盛んとなり、サイケデリックな音楽が最新のカルチャーとして発信されていた。

そうした時代の変化の中で、スペクトラムの音楽は評価されながらも、野暮ったくて今の時代には売れないと判断されてしまったのである。

ラジオから自分たちよりも演奏の未熟なバンドの音楽が聴こえてくるたびに、どうして自分たちの音楽は認められないのかと、リチャードとカレンは不満をつのらせた。

それでも彼らは今の自分たちの音楽のままで成功するはずだと信じ、ライブハウスを回るなど熱心に活動する。
しかし状況が進展することのないまま1年以上が過ぎ、スペクトラムは解散してしまうのだった。

そして1968年の初夏、残されたリチャードとカレンの2人のもとに、ある情報が入ってきた。
新しく始まったテレビ番組『ユア・オール・アメリカン・カレッジ・ショー』が、あちこちの大学キャンパスでオーディションをしているという。

2人にとって全国ネットのオーディション番組への挑戦は、自分たちの音楽が普遍的な魅力を持ち、商業的にも価値のあるものだということを証明し、そして多くの人たちに知ってもらうまたとない機会だった。

2人は一時的にベーシストを雇い、リチャード・カーペンター・トリオとしてオーディションに臨む。
そして6月22日、2人は初となるテレビ出演を果たすのだった。



3人の演奏レベルの高さもさることながら、巧みにドラムを叩きながら歌うカレンの姿には、レコードでは伝えられない新鮮さがあった。
リチャード・カーペンター・トリオは見事にオーディションで勝ち抜き、その後も何度か番組に出演した。

そして翌1969年。
2人は念願のレコード会社との契約を果たし、カーペンターズとしてデビューを果たすのである。



参考文献:
『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』レイ・コールマン著 安藤由紀子・小林理子訳(ベネッセコーポレーション)

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