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ザッツ・エンタテインメント〜アステアやケリーが歌って踊ったミュージカル映画30年史

2024.02.02

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『ザッツ・エンタテインメント』(That’s Entertainment!/1974)


1996年2月にジーン・ケリーが亡くなった時、アメリカのABCテレビのニュース番組が流した追悼映像は前代未聞のものだった。

「歌って踊れる偉大な映画スターが83歳の生涯を閉じました」と伝えた後、何の言葉も一切交えずに『雨に唄えば』(1952年)のダンスシーンだけをただ流し続けたのだ。水たまりで飛び跳ね、街灯の下で踊り、初めて恋を知ったかのように踊るケリー。ただそれだけが4分間続いた。

これは間違いなく、ミュージカル映画至上最高のシーンだろう。この映像が素晴らしくもほろ苦い追悼になりえたのは、単に一人のスターへのお別れ以上の意味があったからだ。それは、ミュージカル映画の“死”に対する追悼だった。



30年代〜50年代にかけて全盛を誇ったミュージカル映画は、その後のテレビの普及やロックンロールとティーンエイジ文化の登場で人気が下降。80〜90年代になると映画はすっかり歌うことを忘れていた。それを嘆き悲しむかのように、マーク・パイザー氏は自身のコラム(『ニューズウィーク』誌「シネマの20世紀」/1998年)で冒頭の言葉を綴ったのだ。

感動的であるが、もう遥か昔のこと。ミュージカル映画は夢の時代の産物・象徴であり、すでに家族の形が崩壊してしまった厳しい世の中では誰も求めていない世界。極端に言えば、そんなムードさえ漂っていたのだろう。

これは日本においても同じようなことが言える。特にテレビがそうだ。70年代までそれは“お茶の間”の主役であり、そこには一家団欒ための健全な演出・調和された世界が確かにあった。しかし80年代に入ると、台本のないフリートークやタレントのプライベートトークが蔓延。以後、派手なテロップも当たり前となり、アナウンサーでさえアイドル化。ネットやSNSが浸透すると情報/速報性も薄れ、みんなテレビを真剣に見なくなった。

その反動だろうか。2000年代に突入してミュージカル映画は復活の兆しを見せ始める。興味がない人でも『マンマ・ミーア!』(2008年)や『レ・ミゼラブル』(2012年)、最近では『ラ・ラ・ランド』(2016年)の大ヒットくらいは知っているはず。ブロードウェイのミュージカル舞台ともシンクロしながら、明らかにニーズは高まりつつある。ディズニーアニメが永遠に母と子供たちのものなら、現在のミュージカル映画は古き良き時代を知らない“新しい大人たち”のものなのかもしれない。

そんなミュージカル映画の歴史を辿ろうとする時、『ザッツ・エンタテインメント』(That’s Entertainment!/1974)は初心者にも“心躍る”ナビゲートをしてくれるアンソロジー。

ハリウッドの大手スタジオであるMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創立50周年を記念して、同社で約200本制作された1929〜1958年のミュージカル映画から75本の名場面、125人のスターたちの至芸を厳選・再編集した2時間12分。公開当時「何を今更」と心配されたそうだが、予想に反して大ヒット。

ナビゲーターはフレッド・アステア、ジーン・ケリー、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、エリザベス・テーラー、ミッキー・ルーニー、デビー・レイノルズ、ライザ・ミネリなどMGMミュージカルに縁の深い11人。

スタンダードとなった歌、華麗なダンスやステップ、スターたちの色気やダンディズム、豪華絢爛なセット、膨大なエキストラ、斬新なカメラワーク……その圧倒的な映像を観ていると、日本の芸能史に与えた影響も計り知れないことが分かる。あのクラーク・ゲーブルでさえ、演じるだけでなく歌って踊らなければならなかった時代。まさに良質な本物のエンタテインメントの連続だ。

サイレントからトーキーへと切り替わった20年代後半。それまでのスターたちは困惑した。喋ると訛りが激しく、イメージが壊れるからだ。そこで注目されたのがブロードウェイの舞台俳優たち。“新人”たちは東から西へ、銀幕の世界へと渡っていく。

フレッド・アステアもそんな一人。天性のエレガンスと凄まじい努力で次々と新しいステップを考案。彼が踏む華麗なタップはミュージカルの象徴にもなった。

ちなみに1933年に初めてスクリーンテストを受けた時、「演奏はダメ。少し禿げていて、耳が飛び出ている。多少ダンスの素養あり」と記録されたそう。この時、誰一人としてアステアが世界一のエンターテイナーになることを知らなかった。『踊るニュウ・ヨーク』(1940年)でのタップの女王エレノア・パウエルとの共演は涙さえ出てくる。


そんなアステアも「映画史上最も多芸で、独創的に富んだタレント。ミュージカル映画の水平線を広げた男」として絶賛したのがジーン・ケリー。

彼はジンジャー・ロジャースやリタ・ヘイワース、シド・チャリースやレスリー・キャロンなど数々の女性パートナー、あるいはアニメのトムとジェリーとまで一緒に踊ってきたが、一番気に入ったのは誰?と訊かれて、こう答える。「フレッド・アステアさ」。『ジーグフェルド・フォリーズ』(1946年)は二人の唯一の共演作。なお、2年後の続編『ザッツ・エンタテインメント パート2』では再会のステップを踏んだことで大きな話題に。


そして忘れてはならないのがジュディ・ガーランド。

アステアやケリーと並んでハリウッド・ミュージカル黄金時代を築き上げた大スター。16歳で「虹の彼方」を歌った『オズの魔法使』(1939年)から、MGMでの最後の出演で大人の魅力を漂わせた『サマー・ストック』(1950年)まで、彼女の美しさと存在の大きさを実感できる。ナビゲートするのは娘のライザ・ミネリというのも泣けてくる。


20年代の黎明期から完成期を迎えた50年代まで、『ザッツ・エンタテインメント』にはモノクロ/カラー問わずあらゆる名作が取り上げられていく。水着の女王エスター・ウィリアムズの水中レビューも圧巻だ。


予告編

『ザッツ・エンタテインメント』

『ザッツ・エンタテインメント』


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*日本公開時チラシ

*参考/『ザッツ・エンタテインメント』パンフレット
*このコラムは2017年6月に公開されたものを更新しました。

評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
名作映画の“あの場面”で流れる“あの曲”を発掘する『TAP the SCENE』のバックナンバーはこちらから

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