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アメリカに伝わる究極の哀歌

2015.02.21

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1929年に始まった世界恐慌の影響による不況の真っ只中で、アメリカ南部のプア・ホワイトの家に生まれ育ったジョニー・キャッシュにとって、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)」で歌われている世界は現実そのものだった。

アーカンソー州にあるキャッシュの家は、世界恐慌から立ち直るべくフランクリン・ルーズベルト大統領が行った、ニューディール政策の一環で建てられたものだった。

キャッシュの家

1935年からそこに移り住んだキャッシュの一家は、綿花などを栽培して生計を立てていたが生活は常に苦しかった。
少年だったキャッシュはそれを手伝いながら歌手になることを夢見ていた。
だが、家計を助けるために働いていた兄のジャックがドリルカッターに巻き込まれ、事故死したことで一家の空気が一変してしまう。

将来を期待していた出来のいい兄が亡くなったことを嘆いた父は、「神は良い子のほうを連れて行ってしまった!」と悲しみに打ちひしがれた。

ジャックの事故死に一抹の責任を感じていたキャッシュの心に、その言葉は生涯にわたって消えない傷を残すことになる。

荒波の彼方から漂って来るのはため息
岸辺に聞こえるのは嘆き悲しむ人の声
つぶやくような死者を悼む哀歌が
低い墓場のあたりから(きこえてくる)
「あぁ、つらい時なんて もう二度と来ないで」


キャッシュ一家

アメリカ大衆音楽の父と称されるスティーブン・フォスターは、アイルランド移民の家系に生まれてクラシックを学びながら、黒人の歌にも魅了されて数多くの名曲を残した。

1854年に書かれたこの「ハードタイムス」は、アメリカで長年にわたって親しまれている国民的な歌である。

異なるいくつもの文化を受け継いだフォスターが書いた歌の特徴は、様々なジャンルの音楽に溶けこむことができるところにある。
それが顕著に表れているのが、ブルース・スプリングスティーンの「ハードタイムス」だろう。

2009年にロンドンのハイドパークで歌ったときの映像を見れば、一曲の中でロック、カントリー、アイリッシュ、ゴスペルといった音楽が、見事に融合していることが一目瞭然である。


その対極にあるのは、キャッシュが弾き語りで歌う「ハードタイムス」だろう。

アメリカを代表する優れた歌手で、カントリー界の神様的存在だったキャッシュが最晩年に取り組んだのは、自作以外にも優れた歌を発掘して残す、『アメリカン・レコーディングス』と名付けられたプロジェクトである。
『アメリカン・レコーディングス』の中でこの曲を歌った経緯について、キャッシュはこう述べている。

レコーディングの時に、これまでのことを色々と深く思い返していたら、誰かがこう言ったんだ。
「どのくらい過去まで振り返っているんですか?」
私は「わからない」と答えた。
そうしたらまた誰かが「スティーブン・フォスターまで戻れば何か見つかるよ」と言ったんだ。
この曲は私がレコーディングした中で一番古い曲なんだよ。
私はこの曲で育ったんだ。


ジョニー・キャッシュの歌声からは、究極の悲しみの中にあっても嘆きの底に沈み込まず、生きるために立ち直る活力や生命力がみなぎっている。
そこには多様な文化のすべてが、たった一人の歌声の中に包括されているかのようだ。


これ以上いらない もう もう つらいのは
この傷を抱いて生きてゆく この傷と歩いてゆこう

これ以上やめよう もう なぜと 責めるのは
理由なんてない わからなくていい 誰のせいでもないんだよ


日本ではシンガー・ソングライター大島花子が初めてのアルバム『柿の木坂』で、「さようなら、あの日〜hard times comes again no more」という日本語詞で取り上げた。

父の坂本九さんを日航ジャンボ機墜落事故で失って30年、大島花子は「♪この傷を抱いて生きてゆく この傷と歩いてゆこう…」と歌う。
ライブの積み重ねを大事にしてきた大島花子は、昔からのアナログテープでこの歌を録音したことについて、こう語った。

悲しみに終わりはない。
悲しみを乗り越えるのではなく、自分の一部として前を向いて生きよう。
そうした悲しみとの対峙(たいじ)を詩で表現したいと思ったのです。
生の音に近く、音に深みとぬくもりが感じられるのが、アナログ録音の良さ。
レコーディングの最中、とった曲を聴き直すため、きゅるきゅるとテープを巻き戻す時間も、私にとっては大事でした。


アメリカに伝わる究極の哀歌は、21世紀の日本にも少しづつ根付きつつある。




大島花子『柿の木坂』
SPACE SHOWER MUSIC

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