1978年(昭和53年)8月1日、沢田研二の24thシングル「ヤマトより愛をこめて」が発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…
1位「UFO」/ピンク・レディー
2位「サウスポー」/ピンク・レディー
3位「モンスター」/ピンク・レディー
4位「君のひとみは10000ボルト」/堀内孝雄
5位「微笑がえし」/キャンディーズ
60階建の超高層ビル「サンシャイン60」が開館、新東京国際空港(現成田国際空港)開港、24時間テレビ「愛は地球を救う」放送開始、ディスコブーム、日中平和友好条約調印、サーフィンファッション大流行して、原宿に竹の子族登場した年でもある。
この「ヤマトより愛をこめて」は、1978年8月5日に東映系で公開されたアニメーション映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の主題歌としてリリースされたもの。当時はアニメ作品に人気歌手を使うことは異例だったが、沢田が歌った同曲はオリコンチャート4位にランクインするほどのヒットとなった。
作詞は阿久悠、作曲は大野克夫が担当。当初、作曲は「恋のバカンス」(ザ・ピーナッツ)のヒットなどでも知られる宮川泰が手がけることとなっていたが、候補曲として作られたものに映画プロデューサーの西崎義展が難色を示したことによって、大野への依頼となった。最終的には大野による作曲、宮川による編曲の楽曲として完成した。
そのメロディーに、阿久悠が“宇宙戦艦ヤマトへのレクイエム”として歌詞を乗せたのだ。映画の中で主人公・古代進がこんな台詞を口にする場面がある。
「生き残ることは時として死を選ぶよりつらいことがある。だが命ある限り生きて生きて生き抜くことも、また人間の道じゃないのか」
この台詞は映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の監督を担当した舛田利雄が書いたもので、1962年に石原裕次郎が主演した日活映画『零戦黒雲一家』(監督: 舛田利雄)のクライマックスで使われた台詞と重なるところがあるという。その映画のテーマ曲となった「黒いシャッポの歌」を阿久が好きだったこともあり、舛田が阿久に作詞を依頼したというのだ。
沢田はこの曲を歌う際、衣装デザインにアートディレクター、画家、デザイナーの早川タケジを起用し、新たなヴィジュアル戦略に成功している。
この時期から沢田は、奇抜な衣装やメイクを徐々にエスカレートさせていく。同作の1年前にヒットさせた「勝手にしやがれ」(1977年)ではパナマ帽を客席に飛ばすというパフォーマンスを、「サムライ」ではナチスを彷彿とさせる衣装に刺青、「ダーリング」では水兵のセーラー衣装、「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ血で染まった包帯を手に巻いた。
さらに「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹き、「OH! ギャル」では女優マレーネ・ディートリヒを真似たメイクで登場。そして「TOKIO」では250万円の電飾衣装にパラシュートを背負い、「恋のバッド・チューニング」では青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンスを披露し、日本中に“ジュリー旋風”を巻き起こしていった。
JULIE BY TAKEJI HAYAKAWA 早川タケジによる沢田研二
ロイヤル・ストレート・フラッシュ
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*お詫びと訂正
原稿内に「沢田はこの曲を歌う際、衣装デザイン協力にファッションデザイナーの花井幸子を起用し・・・」との箇所がありましたが、これは映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の中の登場人物のコスチュームのデザインのことであり、沢田研二さんの『ヤマトより愛をこめて』の衣装のデザインをされたのは、早川タケジさんでした。訂正いたします。ご指摘いただいた方、ありがとうございました。



