「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

佐藤 輝 が最近聴いてるアルバム

佐藤 輝 の記事一覧

TAP the STORY

デイヴ・グロールがカートの死を乗り越えて辿り着いた場所

カート・コバーンが自宅で自殺したのは1994年の4月5日のことだった。 ニルヴァーナは活動を休止せざるを得なくなり、ドラムのデイヴ・グロールは計り知れない喪失感…

TAP the DAY

2つの“顔”がひとつになって復活を果たしたドゥービー・ブラザーズ

1970年代を代表するアメリカのロックバンドの一つ、ドゥービー・ブラザーズ。 およそ10数年の活動の中で毎年のようにメンバーが入れ替わっていたドゥービーズだが、…

TAP the LIVE

伝説のライブハウス、CBGBとその最後を飾ったパティ・スミス

2006年の10月15日、ニューヨークのイーストヴィレッジに構えるライブハウスの最期を見届けようと、多くの人たちが集まった。 そのライブハウスの名前は「CBGB…

TAP the CHANGE

グリーン・デイと出会って一瞬にしてふっ飛んだ峯田和伸の憂鬱とけだるさ

1994年。峯田和伸は自転車で片道30分のところにある共学の高校に通う、見た目は普通の高校二年生だった。 だが彼の部屋の壁には音楽雑誌「ミュージックライフ」や「…

TAP the CHANGE

ドノヴァンがビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」から受け取ったもの

ビートルズの記念すべきデビュー・シングルとなった「ラヴ・ミー・ドゥ」。 プロデューサーのジョージ・マーティンが用意した曲を拒否して、オリジナルにこだわって録音さ…

TAP the LIVE

年明けとともに始まり、新しい音楽を発信して時代を牽引し続けた「トップ・オブ・ザ・ポップス」

1964年の元日、のちの音楽シーンに多大な影響を及ぼすことになるテレビ番組が英BBCでスタートした。 その名も「トップ・オブ・ザ・ポップス」。独自の音楽チャート…

TAP the CHANGE

B-52’sの「ロック・ロブスター」を聞いて新たな時代がきたことを確信したジョン・レノン

ジョン・レノンが息子のショーンを連れ、ニューポートからバミューダ諸島へ向けての船旅に出たのは、1980年の初夏のことだ。 ショーンが生まれてからというもの、ジョ…

TAP the CHANGE

セックス・ピストルズを聴いてバンドへの憧れを抱いたプライマル・スクリームのボビー・ギレスピー

プライマル・スクリームが1991年に発表した3枚目のアルバム『スクリーマデリカ』。 ギター・ポップ、あるいはガレージ・ロックを発信してきた彼らが、はじめてアシッ…

TAP the CHANGE

バンジョーからエレクトリック、そしてアフリカンへ~マムフォード・アンド・サンズの尽きない好奇心

2015年にリリースされたマムフォード・アンド・サンズの3rdアルバム『ワイルダー・マインド』は、ファンはおろか音楽業界をも大きく驚かせる内容だった。 それまで…

TAP the CHANGE

マムフォード・アンド・サンズに宿る多様性とマーカス・マムフォードが幼少期に聴いていた音楽

EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)が全米チャートを席巻していた2009年。 マムフォード・アンド・サンズがリリースしたデビュー・アルバム『サイ・ノー…

TAP the CHANGE

『ロンドン・コーリング』のジャケットを見て最高のヘヴィメタルに違いないと思ったトム・モレロ

「ロックの殿堂でのスピーチ原稿を俺以上に書き直したヤツはいないはずだ」 2003年、ロックの殿堂の授賞式でザ・クラッシュのプレゼンターをU2のザ・エッジとともに…

TAP the LIVE

「生きて帰れない」とまで言われたクイーンの南米公演1981

「大規模なコンサートは無理だ、金にならないどころか生きて帰れないって言われたよ……」(『クイーン 華麗なる世界』より) クイーンが1981年に行った南米ツアーに…

23 / 29<<...2122232425...>>

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ