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TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

佐藤 輝 が最近聴いてるアルバム

佐藤 輝 の記事一覧

TAP the LIVE

山下洋輔の”死に場所”として用意された早稲田大学バリケード内のステージ

1969年、東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターとして、数々の過激なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗が興味を持ったのは、日本のジャズシー…

TAP the LIVE

ジョアン・ジルベルトを偲んで~ボサノヴァの名盤『ゲッツ/ジルベルト』のコンサートが行われたカーネギーホールの客席にいた中村八大

作曲家の中村八大が家族とともにニューヨークへと移住したのは、1964年の8月が終わろうという頃だった。 坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」…

TAP the LIVE

初来日を果たしたサンタナを横尾忠則と引き合わせたディレクターの直感

1973年、日本のロックファンは次々と来日する大物アーティストたちに熱狂していた。 4月にはデヴィッド・ボウイが、前年にはエマーソン・レイク&パーマーにディープ…

TAP the STORY

ジャズ・フュージョン路線からラテンロックに戻って返り咲いたカルロス・サンタナ

1975年、カルロス・サンタナはセールス不振に頭を悩ませていた。 1stアルバム『サンタナ』でデビューしたのは1969年。それがいきなり全米4位となると、続く2…

TAP the LIVE

キング・クリムゾンがハイドパークにもたらした衝撃

何年か後にこの日を振り返るだろう。そしてその重要性を十分に理解するはずだ。 キング・クリムゾンの中心人物、ロバート・フリップが日記にそう記したのは1969年7月…

TAP the LIVE

JBとの出会いによって踊りを進化させたミック・ジャガー

「テーブル大のステージを与えられたとき、ミック・ジャガーの右にでる者はいなかった。ジェイムズ・ブラウンは別かもしれないが」 キース・リチャーズは、自伝でストーン…

TAP the CHANGE

21世紀の新たなロックを提示したストロークスとその背景にあるもの

ストロークスがデビュー・アルバム『イズ・ディス・イット』をリリースしたのは2001年7月30日のことだった。 ガレージロックを彷彿とさせるシンプルで勢いのあるサ…

TAP the DAY

フラワームーブメント最後にして最大の祭典、ワトキンズ・グレン・サマー・ジャム

1967年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルの成功を機に、アメリカを中心にして一気に数が増えていったロックフェス。 ラヴ・アンド・ピースを掲げたヒッ…

TAP the CHANGE

ミック・ジャガーにはじめてブラック・ミュージックを聴かせたのは黒人のコックだった

ローリング・ストーンズの表看板ともいえるミック・ジャガーとキース・リチャーズ。 2人は家が近所で、幼い頃には一緒に遊んだこともあったという間柄だが、学校が別々に…

TAP the LIVE

新しいエンターテイメントを作りたいというミック・ジャガーの試み『ロックンロール・サーカス』

1968年12月10日、ロンドン北西部の町。ウェンブリーのとあるスタジオでは、室内に用意された特設テントに、サーカス衣装をまとったロック・ミュージシャンたちが集…

TAP the CHANGE

サム・スミスがエイミー・ワインハウスから受け継いだもの

2014年にデビューし、瞬く間に世界を代表するアーティストとなったサム・スミス。 1stアルバム『イン・ザ・ロンリー・アワー』は世界中で大ヒットし、翌年のグラミ…

TAP the CHANGE

エイミー・ワインハウスの『フランク』に突き動かされてギターを弾き、曲を作り始めたアデル

1991年にイギリス政府によって創立されたブリット・スクールは、アーティスト養成を専門とした学校だ。政府の補助金に加えて、英国レコード産業協会がスポンサーとなっ…

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