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TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

佐藤 輝 が最近聴いてるアルバム

佐藤 輝 の記事一覧

TAP the CHANGE

はじめての楽器は洗濯板だったというジョージ・ハリスン

ビートルズ時代には、“静かなるビートル”と呼ばれていたジョージ・ハリスン。 ジョン・レノンとポール・マッカートニーという大きな存在に隠れがちだったジョージだが、…

TAP the STORY

ジョージ・ハリスンの27歳~ビートルズ解散によって大きく羽ばたいた“静かなるビートル”

「さあ、終わったぞ。僕はもうビートルじゃないんだ!」 ジョージ・ハリスンがそう口にしたのは1966年の8月、サンフランシスコでビートルズ最後のコンサートを終えた…

TAP the LIVE

『ラスト・ワルツ』のハイライトと讃えられるマディ・ウォーターズの名唱が記録された背景

ザ・バンドが残した伝説のコンサート『ラスト・ワルツ』は、1976年11月25日にカリフォルニア州サンフランシスコのウインター・ランドで開催された。 厳しいツアー…

TAP the LIVE

『ラスト・ワルツ』の本番中に突然、同じ曲を2回演奏したボブ・ディラン

ザ・バンドの伝説的なコンサート「ラスト・ワルツ」でトリを飾ったボブ・ディランについて、ロビー・ロバートソンはこう振り返っている。 大勢が僕たちと演奏しに来てくれ…

TAP the LIVE

ザ・バンドらしくない終わり方から始まったセッション、そして最後のステージ

ザ・バンドが、長きにわたるツアー生活に終止符を打つために開催した「ラスト・ワルツ」。それは、1976年11月25日にサンフランシスコのウインターランドで行った解…

TAP the CHANGE

若き日のフレディ・マーキュリーが憧れたロックスターはジミ・ヘンドリックスだった

「彼は僕がなりたかったものすべてを体現していた」 フレディ・マーキュリーがもっとも尊敬する人物の一人として挙げているのが、ジミ・ヘンドリックスだ。 フレディの本…

TAP the STORY

フレディ・マーキュリーの27歳~わずか半年で無名からロックスターへ

1973年9月5日、フレディ・マーキュリーが27歳の誕生日を迎えたのは、クイーンがファースト・アルバム『戦慄の王女』をリリースして2ヶ月が過ぎた頃だった。 アル…

TAP the LIVE

ビョークがライヴを「自分の本質」と語る理由とは?

ビョークは、自身の音楽におけるライヴの重要性について、2003年にフジロック・フェスティバル出演するために来日した時のインタビューで、このように語ったことがある…

TAP the STORY

ようやく私自身の曲を書く時がきたのよ~ビョークの27歳

ビョークが1stアルバム『デビュー』をリリースしたのは、1993年7月のことだ。このときすでに27歳になっていたのは、それまでの彼女の音楽がバンドとともにあった…

TAP the LIVE

レオン・ラッセルによって窮地から救われたジョー・コッカーと集ったミュージシャンたち

ジョー・コッカーが母国のイギリスから海を超えて、ロサンゼルスへと休暇にやってきたのは、1970年3月上旬のことだった。 前年の夏に出演したウッドストック・フェス…

TAP the LIVE

ニール・ヤングが1971年当時にリリースしなかったことを悔やんだライヴ・アルバム

1970年の夏にCSN&Yから抜けたニール・ヤングは、自身のソロ・ツアーをスタートさせている。そして1971年の1月19日、ツアーはカナダのトロントで…

TAP the LIVE

『ラスト・ネヴァー・スリープス』でニール・ヤングが描いたロック・スターの宿命

1978年、ニール・ヤングが船でカリブ海の島国、グレナダへと向かっていたときのことだ。補給品を買うために上陸したセントジョージズで、ニールの目に止まったのは、政…

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