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TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

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佐藤 輝 の記事一覧

TAP the LIVE

ジョージ・ハリスン~友と挑んだ17年ぶりのツアー

ビートルズ解散後、ソロ作品の発表や映画プロデュースなど充実した活動を見せていたジョージ・ハリスンだが、自身のライブに関しては1974年の北米ツアーを最後に遠ざか…

TAP the STORY

ジョージ・ハリスンの27歳~ビートルズ解散によって大きく羽ばたいた“静かなるビートル”

「さあ、終わったぞ。僕はもうビートルじゃないんだ!」 ジョージ・ハリスンがそう口にしたのは1966年の8月、サンフランシスコでビートルズ最後のコンサートを終えた…

TAP the CHANGE

レナード・コーエンが尊敬するハンク・ウィリアムスから歌い継いだ愛と孤独

シンガー・ソングライター、そして詩人としての顔を持つレナード・コーエン。彼が生み出した楽曲の数々は、ボブ・ディランやU2、R.E.M.などをはじめとして、数え切…

TAP the LIVE

「生きて帰れない」とまで言われたクイーンの南米公演1981

「大規模なコンサートは無理だ、金にならないどころか生きて帰れないって言われたよ……」(『クイーン 華麗なる世界』より) クイーンが1981年に行った南米ツアーに…

TAP the LIVE

クイーン~ロック史に輝く起死回生のパフォーマンス

20世紀最大のチャリティ・コンサートといわれるライヴエイド。数々の超大物ミュージシャンが集う中で、最高の評価を得たのはクイーンだった。 1985年当時、クイーン…

TAP the CHANGE

若き日のフレディ・マーキュリーが憧れたロックスターはジミ・ヘンドリックスだった

「彼は僕がなりたかったものすべてを体現していた」 フレディ・マーキュリーがもっとも尊敬する人物の一人として挙げているのが、ジミ・ヘンドリックスだ。 フレディの本…

TAP the STORY

フレディ・マーキュリーの27歳~わずか半年で無名からロックスターへ

1973年9月5日、フレディ・マーキュリーが27歳の誕生日を迎えたのは、クイーンがファースト・アルバム『戦慄の王女』をリリースから2ヶ月が過ぎた頃だった。 アル…

TAP the LIVE

ビョークがライヴを「自分の本質」と語る理由とは?

ビョークは、自身の音楽におけるライヴの重要性について、2003年にフジロック・フェスティバル出演するために来日した時のインタビューで、このように語ったことがある…

TAP the STORY

ようやく私自身の曲を書く時がきたのよ~ビョークの27歳

ビョークが1stアルバム『デビュー』をリリースしたのは、1993年7月のことだ。このときすでに27歳になっていたのは、それまでの彼女の音楽がバンドとともにあった…

TAP the LIVE

15年ぶりのツアーで最高のパフォーマンスを披露したレナード・コーエン

毎年いくつかのアーティストが追加されているロックの殿堂。2008年に殿堂入りを果たしたのはマドンナ、ベンチャーズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、そしてレナード・コ…

TAP the LIVE

『ラスト・ネヴァー・スリープス』でニール・ヤングが描いたロック・スターの宿命

1978年、ニール・ヤングが船でカリブ海の島国、グレナダへと向かっていたときのことだ。補給品を買うために上陸したセントジョージズで、ニールの目に止まったのは、政…

TAP the LIVE

ニール・ヤングが1971年当時にリリースしなかったことを悔やんだライヴ・アルバム

1970年の夏にCSN&Yから抜けたニール・ヤングは、自身のソロ・ツアーをスタートさせている。そして1971年の1月19日、ツアーはカナダのトロントで…

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