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街の歌

A Foggy Day〜霧の都ロンドンをテーマにした名曲の誕生秘話

2017.11.12

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秋といえば霧。
そして霧といえば…霧の都ロンドン。
そのロンドンの“霧”の正体をご存知だろうか?
19世紀のイギリスは産業革命によってもたらされた工業化により、爆発的にその生産力を増大させた。
圧倒的な経済力を背景に世界各地に植民地を広げ、イギリスは“この世の春”を謳歌していた。
その首都であるロンドンはその頃どうだったかというと…問題が山積みだったという。工業化の弊害である公害と増加する貧民労働者に頭を悩ませていた。
特に石炭の燃焼などによって生じるスモッグがひどく、まるで霧のように立ち込めていることから“霧の街”と揶揄されようになる。
ロンドンといえば“霧の街”をイメージする人も多いと思うが、その由来は意外なところにあったのだ。
もちろん今でも寒波などの影響で霧は発生するが、昔のスモッグ問題はすでに解消されているので、住民が霧に悩まされることなどはないという。
今日は、そんな“ロンドンの霧”をテーマにした名曲をご紹介します。


僕はこの街でひとりぼっち
この街には知り合いはいない
何か自分を哀れみたい気持ちだった
でも、霧の深い通りを一人歩いていると…
今日という日が、最も素晴らしい一日に変わったんだ



この「A Foggy Day(霧深き日)」は、1937年ミュージカル映画『踊る騎士(Damsel in Distress)』の挿入歌として書かれたもの。
作詞はアイラ・ガーシュウィン、作曲はジョージ・ガーシュウィン。
“完璧な音楽家”とも呼ばれ、ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、20世紀を代表する数多くの楽曲を残したこのガーシュウィン兄弟が手掛けたこの楽曲。もともと「A Foggy Day in London Town」というタイトルだったという。
いつの間にか簡略化されたタイトルとなり、長きに渡ってジャズのスタンダードナンバーとして愛され続けることとなる。
実はこの曲、ガーシュウィン兄弟が“たった一日”で完成させたという。
ある晩、兄のアイラが読書をしていると、弟のジョージがパーティーから帰宅して上着を脱ぐなり、すぐにピアノを弾きはじめた。

「兄さん、ちょっと仕事をしようよ。どうかな?この曲…」

アイラは読んでいた本を閉じて、ジョージの弾くピアノの横に座って弟の指先が奏でる短いフレーズに耳をかたむけた。
曲を弾き終えるとジョージは兄にこんな提案をする。

「あの映画の台本に、霧のことを歌う場面があったよね?A Foggy Day in London、あるいはA Foggy Day in London Townっていうタイトルはどうかな?」

アイラはすぐさまこう答えた。

「いいね。僕はTownがついた方が好きだな。」

ニッコリとうなずきあった二人は、すぐさま曲の続きを書きはじめ…そして一時間もかからずにコーラス部分の歌詞と大部分のメロディーを仕上げ、翌朝、二人でもう一度聴き直しながらヴァース部分を足して完成させたという。
この頃、弟のジョージ(当時38歳)は脳腫瘍におかされていて…その年の映画の封切りを待たず亡くなってしまう。





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