詩人が死んだ時
詩人が死んだ時
友達はみんな
友達はみんな
友達はみんな泣いた…
この「Quand Il Est Mort Le Poete(詩人が死んだ時)」は、“二十の顔を持つ男”と呼ばれたフランスの芸術家、ジャン・コクトーへのレクイエム(鎮魂歌)として書かれた歌だ。
コクトーといえば、ピカソを始めココ・シャネルやアンディー・ウォーホルなど多くの芸術家や文化人と交流を持ち、彼らに大きな影響を及ぼした存在としても知られている。
1963年10月11日、彼は突然この世を去った。
その日の朝、コクトーは親友だったエディット・ピアフが癌との闘病の末、1日前に亡くなったという報せを聞く。
大きなショックを受けた彼は、その日の就寝中に心臓発作を起こし急死してしまったという。
当時、フランスのカルチャーシーンをリードしていた二人の親交はよく知られるところで、生前コクトーはピアフのために脚本を書いたりもしている。
二人の死を悼んで、当時新聞などでは“フランス文化最大の損失““フランスにとって最も悲しい日”として訃報が伝えられた。
そして二年後の1965年、フランスの歌手ジルベール・ベコーが「Quand Il Est Mort Le Poete(詩人が死んだ時)」を作曲して発表する。
楽曲のクレジットには作詞:ルイ・アマード、作曲:ジルベール・ベコー、1965年作品と記されている。
憧れの人は埋められるだろう
広い小麦畑の中に…
だから僕たちは見つけるんだ
この広い畑の中に…矢車草の花を
この歌詞に最後に出てくる矢車草(やぐるまそう)とはどんな植物なのだろう?
日本では端午の節句の季節に咲く矢車菊(やくるまぎく)と呼ばれている花のことで、その名は鯉のぼりの先端の矢車に似ていることから付けられた。
花の色が青いことからフランス語では“bleuet”と呼ばれている。
英名は“Cornflower”で、ヨーロッパの麦畑の中に咲いていたことからつけられた呼び名らしい。
その青紫色の美しさから、最高級のサファイアの色味を“Cornflower blue(矢車菊の花の青)” として引き合いに出されることがある。
ドイツ、エストニア共和国、マルタ共和国の国花でもあるこの花の学術名は“Centaurea cyanus”で、属名の“Centaurea”はギリシア神話の半人半馬の種族ケンタウロスの賢者ケイローンがこの植物を薬草として用いたことに由来するという。
歌詞を手掛けたルイ・アマードは、生前コクトーがケンタウロスの絵をよく描いているということを知っていたのだろう。
ジルベール・ベコーといえば、生前ピアフとも親交の深かった人物である。
ピアフが亡くなる約10年前(1952年)に発表した「Je t’ai dans la peau(あなたに首ったけ)」で、彼は転機を迎える。
当時、まったくの無名だったベコーの才能を見出したのはピアフだった。
フランス国内のみならず、当時世界に進出していた大歌手ピアフから抜擢されることは大変な名誉であり、ベコーにとって音楽界で生きてゆくための大きな足がかりとなった。
「テレビとラジオに惑わされるな。テレビはあらかじめ咀嚼された柔らかい食べ物を与える。自分の歯で噛みたまえ。歯は微笑のための装飾ではない。」
これは1949年(約70年前)にコクトーが書いた評論『アメリカ人への手紙』の一節である。
頭の部分に“インターネット”を付け加えれば、現代社会(全世界)への警句としても読み取れる。
子供の好奇心、残酷なまでの無垢さ、限界のない想像力を愛したコクトーが、生涯で一作だけ書いた童話『おかしな家族』の序文にはこんな言葉が綴られている。
「君たちはいずれ大人になる。奇妙なことだ。しかし、子供の心を失わないように気をつけたまえ。(中略)誰だって幼いころは妖精そのものだ。妖精は手にした魔法の杖でかぼちゃに触れるだけで、豪華な四輪馬車に変えてしまうことが出来る。悲しいことだが、大人たちは分別があるために、四輪馬車をかぼちゃに変えることしか出来ない。」
詩人、小説、戯曲、評論、絵画、陶芸、彫刻、舞台演出、映画監督、バレエ制作など、あらゆる芸術分野において大きな功績を残した才人ジャン・コクトー。
自身は中でも“詩人”と呼ばれることを望んだという。