1971年。
2月上旬の寒い日、ニール・ヤングはナッシュヴィルにいた。トニー・ジョー・ホワイト、ジェイムス・テイラー、リンダ・ロンシュタットらと一緒に、人気テレビ番組「ジョニー・キャッシュ・ショー」に出演するためだった。
CSN&Yとしての成功、『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』のヒットと、音楽的には順風満帆に見えたニールだったが、私生活には暗い影が立ち込めていた。
友人でありクレイジーホースのギタリスト、ダニー・ウィットンの(ヘロインが原因とされる)死、息子ジークに脳性まひが見つかり、妻キャリーとの別離があった。
そんな彼が最初、番組プロデューサー、エリオット・メイザーが主催するディナー・パーティーに出席する気にならなかったのも当然だろう。だが、エリオットとニールのマネージャー、エリオット・ロバーツは旧知の間柄だった。ニールはマネージャーの顔を立てる形で、50人は招かれていたパーティーに顔を出した。そしてパーティーの席で紹介されたエリオット・メイザーと意気投合することになる。メイザーはプロデューサーであり、スタジオの経営者だった。
ニールはさっそく、その翌日からメイザーの所有していたクォドラフォンティック・スタジオで新作の録音を始めることになる。それが1972年に発売されることになる『ハーヴェスト』だ。
最初に録音されたのは、大ヒットとなる「孤独の旅路」だった。変わることなき「金の心」を探す男の歌である。
実生活でもニールは、「変わらない」ものを探していた。そして子供の頃のような、長閑な暮らしを求めていた。そして1970年に出会っていたのが、カリフォルニアの牧場、ブロークン・アロー・ランチだった。
ニールが訪れると、この牧場の管理を任されていたルイス・アヴィルは、ブルーのジープにニールを乗せ、牧場を案内して回った。1970年当時で3万5000ドルの価格がつけられていた牧場の管理人は、牧場全体が見渡せる小高い丘の上にジープを停めると、ニールに聞いた。
「あんたみたいな若いもんが、よくこんなところを買えるもんだな」
当時ニールは25歳だった。
「ただのラッキーだよ、ルーイー」
ニールはルイスの名前を、ちょっと崩して親しみを込めて言った。「本当に、ただ幸運だっただけなんだ」
ルイスは驚いたようにニールの顔を見つめた。
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なあ親父さん
僕の人生
あんたの若い頃と
大して変わっちゃいないのさ
♪
『ハーヴェスト』に収録された「オールド・マン」のモデルは、このアヴィル・ルイスである。
ニール・ヤングのバックでギター・バンジョーを弾いているのはジェイムス・テイラー。バック・コーラスも彼とリンダ・ロンシュタットがつとめている。そう、ジョニー・キャッシュ・ショーに一緒に出演した仲間たちである。
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僕には
朝から晩まで
愛していける人が必要なんだ
♪
ブロークン・アロー・ランチとその牧場を管理する男。それは彼の背後でコーラスをつけてくれる仲間同様、愛すべきものとして、ニールには映っていたのだろう。