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「リキの電話番号」〜ドナルド・フェイゲンが電話番号を渡した憧れの人

2024.09.03

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ニューヨーク州アナンデール・オン・ハドソンに小さな単科大学がある。1860年創立のこの私立大学、バード・カレッジは、アメリカで最もリベラルな校風の大学として知られている。

第2次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れてアメリカに逃げてきた欧州からの難民に、避難所を提供したことでも知られるこの大学は、一時コロンビア大学に吸収されることになるが、すぐに独立し、現在に至っている。

1967年。この大学のエリザベス朝様式の建物の中で、ハロウィン・パーティーが開かれていた。コモンルームには簡単なステージが作られ、バンドが演奏していた。観客の学生たちの多くがドラッグでハイになっていた。

レザー・カナリーというそのバンドのドラム・セットに座っていたのは、チェビー・チェイスだった。後に「サタデーナイト・ライブ」などに出演することになるコメディアンにして、エミー賞の脚本賞を受賞する脚本家となる多才な男である。

チェビー・チェイスの前に立ち、ギターを抱えていた長髪の男はウォルター・ベッカーだった。大学一の熱狂的な音楽フリーク、ギタリストとして有名だった。

そしてキーボードの前にレザージャケットを着て座っていたのは、シャイなドナルド・フェイゲンだった。ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは後に、スティーリー・ダンを結成することになる。

リッキ この電話番号をなくすなよ


これは、スティーリー・ダン最大のヒット・シングルとなる「リキの電話番号」の一節である。

ハロウィン・パーティーの観客の中に、ひとりの女学生がいた。リッキ・ダコーネット。パーティーの後、ドナルド・フェイゲンが彼女に電話番号を渡したのである。

彼女は当時、学生結婚をしていた。そして妊娠していた。それでも電話番号を手渡したのだから、ドナルド・フェイゲンにとって、彼女はとびきり魅力的に映ったのだろう。

だが、その恋はむなしく終わる。彼女から電話がかかってくることはなかった。

それでも、スティーリー・ダンの名曲は生まれ、彼女はといえば、作家、詩人、アーティストとして成功を収めたのである。




スティーリー・ダン『プレッツェル・ロジック』
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