2017年の全米アメリカンフットボールの優勝決定戦スーパーボウル。
そのハーフタイムショーは、マイケル・ジャクソンやポールマッカートニー、U2をはじめとした世界の音楽シーンを代表するミュージシャンによって彩られてきた。
2018年、ミネソタ州USバンクスタジアムで開催されたスーパーボウルのハーフタイムショーを任されたのは、ジャスティン・ティンバーレイクだ。
彼がこのカバーを披露したのは、ミネソタで生まれ育ち、ミネソタの人々に愛されたプリンスへの追悼、そしてその音楽のルーツとなった土地へのリスペクトがあったからだった。
ミュージシャンが生まれ育った土地と、彼らが奏でる音楽の関係は不可分である。
そしてジャスティン自身の音楽も、自らの生まれ育った土地と切り離せないものであった。
ジャスティン・ティンバーレイクの生まれはアメリカの南部、テネシー州のメンフィスだ。
メンフィスはブルースや、ゴスペル、カントリーなどアメリカの音楽ジャンルの発信地として知られている。
かつてエルヴィス・プレスリーが住み、管楽器を主体とするソウルミュージックを作り出したスタックス・レコードがあったこの地では、今でも人種に関係なく音楽が親しまれている。
イギリスとネイティブ・アメリカンの両親を持つジャスティンも、幼い頃からソウルやブルースのような黒人音楽やカントリーなどに触れていた。
また祖父が牧師だったことから、ゴスペルなどの音楽も身近にあったことが想像出来る。
音楽に囲まれた環境で、彼がミュージシャンを目指すのは自然なことのように思えた。
小学生の頃にアメリカの人気オーディション番組「スター・サーチ」でゴスペルやカントリーを歌いこなしたことをきっかけに、わずか13歳で子供番組「ミッキーマウス・クラブ」に出演。
そして15歳になるとポップヴォーカルグループ「イン・シンク」のリードボーカルとして、本格的に歌手活動をスタートさせる。
高音から低音まで表情豊かに歌いこなし、軽やかでキレのあるダンスを踊る姿は、多くのファンを魅了した。
グループ解散後の2002年、彼は一流ミュージシャンたちとともにソロ活動を開始する。 ファレル・ウィリアムス率いるネプチューンズやティンバランドなど、R&Bシーンを牽引していたプロデューサーと共に次々と楽曲を送り出した。
それらは瞬く間に世界中で話題となり、 デビューアルバム『Justified』でグラミー賞を受賞する。
いつしかジャスティンは彼が憧れ、プリンスやマイケル・ジャクソンのような、R&Bスターとなっていた。
続く2006年のセカンドアルバム『Future Sex/Love Sounds』も大ヒットを飛ばすが、彼はこの作品以降ミュージシャンとしての活動をセーブし始める。
そして意外にも、俳優としての活動を本格化させたのである。
デビット・フィンチャーの大ヒット作「ソーシャル・ネットワーク」などの出演を皮切りに、ジャスティンは俳優としても成功を収めた。
ジャスティン・ティンバーレイクはもう音楽活動はしないのではないか――
そう囁かれていた2013年、彼は『20 of 20 Experience』で音楽業界にカムバックする。
演技という新しい世界を経験したことによって、ジャスティンの歌やダンスなどの表現はより豊かになっていた。
そしてすぐさま、短いインターバルで4枚目のアルバムをリリースしたジャスティンは、長いツアーに出る。
彼は自らのバンドに「ザ・テネシー・キッズ」と名付け、「ジャスティン・ティンバーレイク&ザ・テネシー・キッズ」としてライヴを行ったのだ。
ジャスティンは音楽活動を再開するにあたって、自らのルーツである音楽の街、テネシー州に立ち戻ったのである。
そのような原点回帰を経て、彼は2018年にアルバム『Man Of The Woods』をリリースした。
この作品は、彼が作り続けていたR&Bの最新形である「トラップ」という電子ビートを楽曲に導入している。
それに加え、伝統的なカントリーの柔らかい音色や、メンフィスからブームが始まったとされるアメリカンブルース風のエレキギターの音も取り入れている。
まさに、世界の音楽のトレンドと彼自身のルーツが見事に融合した作品なのである。
彼の音楽はメンフィスから生まれ、彼自身も故郷に対してリスペクトを捧げている。
そして、ジャスティン・ティンバーレイクという名前も音楽の街メンフィスを代表するミュージシャンとして、後世に語り継がれることになるだろう。