シャンソンの名曲として世界中で親しまれている「愛の讃歌」は、日本でも越路吹雪の歌などによって、1950年代前半から60年代にかけて広く親しまれて浸透していった。
ところでエディット・ピアフが歌った原詞では、『愛のためなら宝物を盗んだり、国や友を裏切り、笑われたって何でもする』と、壮絶なまでの愛が描かれていた。
しかし、そのまま日本語にしたのでは、当時の日本人の感覚にはそぐわないところがあった。演出家からは、ショーのラストを飾るので華やかさを要求されてもいた。
そのために急に訳詞を頼まれた越路吹雪のマネージャー・岩谷時子は、暗さや重さをなくして思い切った意訳を選ぶことにした。こうして女流作詞家のパイオニアとなる岩谷らしい、日本人向けの「愛の讃歌」が誕生したのである。
一途な愛をつらぬく女性の人生を謳った「愛の讃歌」は、多くの日本人の琴線に触れて、シャンソン歌手ばかりでなく、ポップスや歌謡曲の歌手たちにまで歌い継がれていく。
しかし、ピアフの生涯に深く傾倒していたシャンソン歌手の丸山明宏(現・美輪明宏)は、原詩と内容がかけ離れていることがどうしても気になった。
原詩に込められた強い訴えや愛の重みを、日本人にもわかってほしい。そう思った美輪明宏は、自分で原詩に忠実な歌詞を訳し、約半世紀にわたってずっと歌い続けた。
それが長い歳月を経て脚光を浴びたのは、2014年夏のことだった。
NHKの連続テレビ小説『花子とアン』のなかで、一切の台詞や音をなくした駆け落ちのシーンに、美輪明宏の「愛の讃歌」がフル・コーラスで流れたのだ。視聴者の意表をついた演出で使われた「愛の讃歌」は、SNSなどで大きな反響を呼んだ。
そして年末のNHK紅白歌合戦でも、美輪明宏が「愛の讃歌」を歌って評判になった。
女優の大竹しのぶが、初めて舞台『ピアフ』に挑んだのは2011年だった。エディット・ピアフが憑依したかのように歌って演じた大竹しのぶは、演劇界で大いに話題になり、その年の読売演劇大賞では主演女優賞を受賞した。そして再演を重ねることで、ピアフは定番となっていった。
その歌詞はオリジナルに忠実なものだが、美輪明宏のヴァージョンとは異なっている。
「ピアフという人間が生まれて、死んで、残したものをお客さんに渡したい」という大竹しのぶの場合、女優の演技を超えて放たれるリアルな歌が真骨頂だ。
ピアフのオリジナルがレコーディングされたのは1950年だというから、誕生からすでに66年もの年月を経ていることになる。にもかかわらず、日本では三者三様、それぞれのヴァージョンがいまも強い生命力を持ち続けている。
そうした事実からは、歌というものが持つ力の神秘性、究極のラブソングの普遍性を感じずにはいられない。
*このコラムは2016年12月に公開されました。
「老女優は去り行く」
「越路吹雪 シャンソンの世界」
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