黒人の聴衆に向けた全国巡業、いわゆるチタリン・サーキットの帝王として君臨したシンガーにボビー・ブランド、またの名をボビー・ブルー・ブランドがいる。
ゴスペル、R&B、ジャンプ、バラード、ソウルなど、すべてにブルースが根付いている独特の歌唱は骨太でいながらも、どこか滑らかである。
若い頃からしばしばボビーに似ていると言われることがあったという忌野清志郎は、エッセイ集「瀕死の双六問屋」のなかで、ボビーの晩年の代表曲「メンバーズ・オンリー(Members only)」について、自らのブルースへの熱い思いとともにこう記していた。
とても大切なことなんだ。
君がブルースを忘れないように歌ってあげたいんだ。
俺のこの気持ちについて歌っているブルースを歌って君に聴いて欲しいのさ。
俺はいつも涙する。
「メンバーズ・オンリー」っていう歌を聴いたら誰だって泣くはずだ。
メンバーズ・オンリー
プライベートなパーティーさ
入るのにお金なんかいらないよ
小切手も持って来なくていい
傷ついた心だけ持っておいで
だって今夜はメンバーズ・オンリー
女と別れたっていうあんた
男と別れたっていうあんた
あんたたちはたくさんの問題を抱えている
人生を全部ひっくるめてね
だからパーティーを開いてるんだ
傷ついた心のためにね
そう、今夜はメンバーズ・オンリー
ボビーはテネシー州ローズマークの小さな町で生まれ、そこでラジオから流れてくるスピリチュアル・ミュージックと、「グランド・オール・オープリー」のカントリー・ソングを聴いて育った。 子供の頃から綿畑で綿花を摘みとる仕事をしていたので、小学校は3年生までしか行けないで終わった。
しかし家族で1947年にメンフィスに引っ越したときから、彼は地域の教会で歌うゴスペル・グループに加わって歌うようになる。
そして1940年代後半からビール・ストリートで起こっていたブルースの盛り上がりに遭遇したことで、毎週水曜日にルーファス・トーマスが開催していたアマチュア・ショーに出場するようになっていったのだ。
そこから1950年に結成されたBBキング、ジュニア・パーカー、ロスコーゴードン、ジョニー・エースといったブルースマンとともに、ビール・ストリート・ブルース・ボーイズとして活動していく。
まもなくBBキングとジュニア・パーカーが脱退して名前が「ビール・ストリーターズ」となって、1952年にはデューク・レコードへ移籍する。
その少し前に、ボビーはチェス・レコードから、シングル3枚をリリースしてソロデビューしたがうまく行かなかった。彼の才能が開花するのは2年間の兵役というブランクを経た後のことで、1950年代後半からコンスタントにヒット曲を出して、第一線で長く活躍を続けていった。
やがて1985年にブルース/ソウル系インディー・レーベル「マラコ・レコード」に移籍すると、アルバム『メンバーズ・オンリー』をリリースする。これがビルボードのR&Bアルバム・チャートで45位にランクされて、その健在ぶりを示すことになった。
タイトル・ナンバーの「メンバーズ・オンリー」も最高54位ではあったが、シングルとして最後のチャート・インを果たした。
ママに訊いておいで
パパに訊いておいで
赤かい、黄色かい
黒かい、白かい
パーティーを開いている
悲しい孤独のためのすべて
そう、今夜はメンバーズ・オンリー
ボビーは2013年6月23日、メンフィス郊外のテネシー州ジャーマンタウンにある自宅で、生涯現役のまま83歳の生涯を閉じた。
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