ジョニー・キャッシュが新妻ヴィヴィアンを伴ってメンフィスに引っ越してきたのは1954年のこと。その街では既にエルヴィス・プレスリーが大評判になっていた。
エルヴィスを初めて観たのは、彼がトラックの荷台の舞台で歌ったドラッグストアの開店イヴェント。終演後にキャッシュは声をかけ、エルヴィスは次のクラブ出演を観に来いよと誘う。その店に出かけていったキャッシュはエルヴィスのカリスマに加え、彼のリズム・ギター演奏に感心したという。
彼らは音楽の話をしたが、キャッシュはサン・レコードやその他の業界関係者に紹介してくれとは決して言わなかった。彼には自分のやり方でプロの歌手になるんだという強い決意があったのだ。
1955年にサム・フィリップスに認められてサンと契約したキャッシュはエルヴィスとレーベルの同僚となり、ツアーで多くの時間を一緒に過ごす。
エルヴィスはすごく良いやつで、才能に溢れ、カリスマがあった。すべてを持っていたね
キャッシュの「Get Rhythm」は元々エルヴィスのために書いたのだが、RCA移籍が決まったために彼が録音することはなく、作者のヒットとなる。
しかし、その友情には一定の距離があった。
お互いのことが好きだった。でも、それほど親しかったわけじゃない。俺は年上だったし、既婚者だったから
そして、60~70年代にはほとんど付き合いが無くなった。
彼は自分の回りに築いた世界に閉じこもっていたいと感じた。彼のプライヴァシーを侵さないように務めたんだよ
だが、息子のジョン・カーター・キャッシュはこんな話を披露している。
「母(ジューン・カーター)はエルヴィスの名前を口にするたびに、いたずらっぽい目つきで、“パパはずっと嫉妬しているのよ”と言っていたよ」
エルヴィスは若い頃にカーター・ファミリーと時折一緒にツアーをしていたので、キャッシュは妻とエルヴィスが過去に関係を持ったのではないかと疑っていたというのだ。
「いつだって、すごくたくさんの女の子が追いかけていた」と、エルヴィスに女性が群がるのをその目で見てきたからこそ、嫉妬心を拭えなかったのだろう。
カーター・ファミリーと時折一緒にツアーをしていた
実のところ、1955年にハンク・スノウをヘッドライナーとするツアーで、初めてカーター・ファミリーと一緒になったとき、エルヴィスとギタリストのスコッティ・ムーアが熱を上げた相手はジューンでなく、カーター姉妹の末娘アニタだったという。だが、母親のマザー・メイベル・カーターが常に娘たちへの行動に目を光らせており、実際に言い寄るのはむずかしかったようだ。