佐藤 剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。
その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、最新作は『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)。

佐藤 剛 が最近聴いてるアルバム
小林亜星プロデュース「ロマンティックをもう一度~Asei meets Atsuko」天満敦子 (アーティスト, 演奏)

佐藤 剛 の記事一覧

TAP the STORY

かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバ…

TAP the SONG

石原裕次郎に頼まれて浜口庫之助が作った「夜霧よ今夜も有難う」

1966年に山中湖畔のゴルフ場で作曲家の浜口庫之助が石原裕次郎と会ったのは、まったく偶然のことだった。 浜口はその日、山梨県警の本部長と公正取引き委員会の知人と…

Extra便

追悼~レッキング・クルーの一員、そして偉大なるシンガーとなったグレン・キャンベル

アメリカの実体を捉えたはじめてのカントリー・ソング…

TAP the BOOK

無名の少年たちだったジャニーズを特訓してレギュラーに抜擢~伝説のディレクター末盛憲彦

ジャニーズがショービジネスの世界にデビューしたのは、NHK総合でオンエアされていたテレビ番組への出演だった。 日本のテレビ史に語り継がれる先駆的な音楽バラエティ…

TAP the DAY

一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く、一本の鉛筆があれば八月六日の朝と私は書く

その歌が誕生したのは平和をテーマにした音楽祭が、広島で新しく始まったことがきっかけだった。 幼少時に父が徴兵された美空ひばりは、四人の幼子を抱えた母と一緒に戦火…

TAP the DAY

1970年8月5日に発売された1枚のレコード『はっぴいえんど』

1970年の夏、エレックレコードから 6月 1日に発売された吉田拓郎のシングル盤「「イメージの詩」と、B面の「マークⅡ」が口コミから評判になって、深夜放送など一…

TAP the STORY

どんとの27歳~絶頂の日に起こった転落事故

どんと(久富隆司)は1962年8月5日、岐阜県大垣市で生まれている。 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が発売になったのは1971年3月5日、ヒットしたのはその年の…

TAP the SONG

T・レックスの初来日公演時に日本でレコーディングされた「20センチュリー・ボーイ」

1968年の秋から東芝音楽工業の洋楽部に配属された新入社員の石坂敬一は、アシスタント・ディレクターとして仕事を始めたとき、まずは印象に残る日本語のタイトル、邦題…

TAP the SONG

「狼なんか怖くない」~阿久悠がピンク・レディーの「S・O・S」から発展させて書いた石野真子のデビュー曲

伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)に出場した石野真子は高得点で合格、1978年3月25日に「狼なんか怖くない」でデビューすることになった。…

TAP the SONG

阿久悠の”ない・ソング”3部作~「朝まで待てない」「ざんげの値打ちもない」「どうにもとまらない」

1967年11月10日にシングル盤「朝まで待てない」でレコード・デビューしたザ・モップスは、日本で最初にサイケデリック・サウンドを打ち出したバンドだった。 その…

TAP the SONG

追悼・山川啓介~矢沢永吉に「チャイナタウン」をひとり往くハードボイルドな男を見た作詞家

キャロルが解散した1975年の秋に発表された1stアルバム『I LOVE YOU、OK』は、かつてのファンのあいだでは賛否両論を巻き起こした。 粗削りながらもエ…

TAP the STORY

鈴木茂の27歳~「まるで異次元の人みたいに憧れたものでありました」と中島みゆきが集めたソロ・アルバム

1960代後半から70年代初頭の音楽シーンでは、海外のバンドのコピーから始まった日本のロックに関して、オリジナルの場合でも使い慣れない英語で歌うべきか、あるいは…

TAP the SONG

あみんの素朴な”うたごごろ”が光る「待つわ」を大ヒット曲に仕上げたアレンジャーの萩田光雄

あみんは岡村孝子と加藤晴子という現役女子大生によるデュオだったが、1982年の第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場するため、岡村が作…

Extra便

追悼・平尾昌晃~ロカビリー・ブームの立役者でNo.1シンガーだった20歳の平尾昌章

日本にロックンロールが上陸したのは、映画『暴力教室』が公開された1955年8月21日と言っていいだろう。 非行化防止のために青少年に観覧させないようにと、当時の…

TAP the STORY

細野晴臣の言葉で「読書と音楽が交差した」という松本隆が選んだ作詞家の道

プロのミュージシャンとして松本隆が音楽活動を始めたのは1969年2月、細野晴臣に誘われてグループサウンズの「ザ・フローラル」に、ドラマーとして加入したときからで…

TAP the STORY

新生RCサクセションを率いる忌野清志郎27歳、 「よォーこそ!」で幕を開けた新時代 

1978年4月2日、忌野清志郎は27歳になった。 1968年の結成から10年を迎えたRCサクセションはその頃、ヒット曲もなければ仕事もないという、無作為の日々が…

TAP the SONG

映画『アメリカン・グラフィティ』のラストシーンから日本につながっていた「夏のクラクション」

コピーライターだった売野雅勇が作詞の仕事を始めたのは1982年からだが、その翌年に中森明菜の「少女A」が大ヒットした。 1984年には作曲家の芹澤廣明とチェッカ…

TAP the STORY

27歳になった大瀧詠一を待っていたのは、地獄の責苦のようなハード・スケジュールだった

1975年6月9日にスタートした大瀧詠一のDJ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ(GO! GO! NIAGARA)』は、1978年9月25日まではラジオ関東で、197…

TAP the SONG

小沢健二の言葉から気づかされる歌と音楽の力、レコードやCDの匂い、そして音楽の記憶

1968年生まれの小沢健二はドイツ文学者の父、心理学者の母をもち、クラシックのレコードと並んでビートルズのボックスがある、そんな音楽環境の家庭に育った。 父親の…

TAP the SONG

日本でスタンダードになった忌野清志郎が歌う「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビー…

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