佐藤 剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。
その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、最新作は『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)。

佐藤 剛 が最近聴いてるアルバム
小林亜星プロデュース「ロマンティックをもう一度~Asei meets Atsuko」天満敦子 (アーティスト, 演奏)

佐藤 剛 の記事一覧

PICK UPTAP the SONG

宇多田ヒカルがプロデューサーとして世に送り出した小袋成彬の注目曲「Daydreaming in Guam」

2018年の正月が明けてまもなく、宇多田ヒカルがプロデュースするアーティストのお披露目ライブが、1月16日に行われるというニュースが知人からもたらされた。 そし…

TAP the STORY

名曲「ウィズアウト・ユー」を書いた後、自死に追い込まれたバッドフィンガーの2人

ビートルズが作ったレコード会社のアップルから1968年にデビューを飾ったアイヴィーズは、ビートルズの弟分的存在として期待されていた。 ところが運が悪いことにアッ…

Extra便

ロシア文学からアメリカで生まれた「花はどこへ行った」が日本で歌い継がれてきた歴史をたどる

今は幻となった満州国で最大の都市だったハルビンは、帝政ロシアが開発した多民族が暮らす国際都市だった。 その地で生まれた加藤登紀子は、戦後日本に帰ってからも「暗…

TAP the SONG

ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」から題材を得て誕生した中森明菜の「少女A」

中森明菜のセカンド・シングルとして「少女A」が世に出て注目を集めたのは、1982年7月28日のことだった。 広告業界でコピーライターとして働きながら作詞の仕事を…

TAP the SONG

フリートウッド・マックで唯一シングル・チャート1位になった「ドリームス(Dreams)」

「41年前の曲がビルボードチャートを急上昇……なぜ?」というタイトルの、いささか気になる記事が目に入ったのは2018年4月10日のことだった。 「GQ JAPA…

TAP the SONG

リンジー・バッキンガムが “きみはきみの道を行きなよ”と歌ったフリートウッド・マックの「オウン・ウェイ」

1970年代半ばからアメリカで驚異的ともいえるアルバム・セールスを誇ったフリートウッド・マックが、1977年に放ったメガヒットが1500万枚もの売上を記録したア…

Extra便

チェコで不滅のプロテスト・ソングとして歌われていたビートルズの「ヘイ・ジュード」と、国民的な歌手マルタ・クビシェヴァ

チェコスロヴァキアでは1968年の初頭から共産党第一書記のアレクサンデル・ドプチェクの指導の下で、知識人や学生を中心に民主化運動が展開された。 ドプチェクは3月…

TAP the SONG

高倉健と都はるみが惚れ込んだという隠れた名曲「昭和放浪記」

1972年に「昭和放浪記」を書いた阿久悠は、歌詞が出来上がったときにいい手応えがあったので、凡庸な演歌の作品で終わらないようにと、あえてポップス系の小林亜星に作…

Extra便

天国へ逝った越路吹雪に「眠られぬ夜の長恨歌」を書かずにはいられなかった岩谷時子の孤独

越路吹雪は宝塚歌劇団の男役で戦中から戦後にかけて活躍した後に、女優としても歌手としても映画やテレビ、舞台の分野で日本のエンターテイメント界を牽引し続けた。 そし…

Extra便

追悼・大森昭男~「三木鶏郎の弟子が三木雛郎?それならば…」と三木卵郎を名乗った大瀧詠一

大瀧詠一が自らを三木卵郎と名乗っていたのは1977年にサイダー・シリーズを柱とするCMソングでまとめた異色のアルバム、『ナイアガラCMスペシャルVol.1』を出…

Extra便

追悼・大森昭男~はっぴいえんどの大瀧詠一を発見したことから始まったCM音楽の新時代

CM音楽のプロデューサーとして1970年代の音楽シーンに新風を吹き込んだ大森昭男は、日本におけるコマーシャルソングの祖といわれる三木鶏郎の門下生で、1960年に…

TAP the SONG

久世光彦特集~「爪」という曲が好きで最後の4行だけを小さな声で歌っていた向田邦子

大学を出てTBSに入ってからテレビドラマの演出で活躍していた久世光彦が、師匠筋にあたる森繁久彌の紹介でラジオ番組の台本を書いていた若い放送作家向田邦子と出会った…

TAP the SONG

追悼・大森昭男~大瀧詠一が自分のポップスで最初の完成品と言った「サイダー`74」が陽の目をみるまでの1年間

大瀧詠一が自ら「大瀧ポップスの最初の完成品です」と自信を持って宣言する作品が誕生したのは、オン・アソシエイツのプロデューサー、大森昭男と知り合ってからちょうど1…

Extra便

追悼・大森昭男~次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

大瀧詠一は1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイアガ…

Extra便

「君をのせて」という歌の「君」は作者の岩谷時子にとって、越路吹雪だったのかもしれない…

「君をのせて」という歌は、1971年に行われた作曲家コンクール「第3回 合歓ポピュラーフェスティバル’71」への参加曲としてつくられた。 作曲したのは作詞家の岩…

TAP the SONG

〈吐きすて〉の歌の系譜⑨主人公のナミとして吐き捨てるように歌ったらOKが出たという梶芽衣子の「怨み節」

女優の梶芽衣子が歌って代表曲となった「怨み節」は、1972年に製作された映画『女囚701号 さそり』の劇中歌としてつくられた。 しかし8月25日に映画が公開され…

Extra便

久世光彦特集~テレビ版『マイ・ラスト・ソング 人生の最後に聴きたい歌は』

昭和の時代には”変な歌”が急に脚光を浴びて、大ヒットを記録するということがしばしば起こった。 そうした”変な歌”というのは単にコミカルだというのではなく、時代感…

TAP the DAY

不安感、恐怖心、無力感、使命感、正義感、すべて抱えて「希望」に向かって走ってきた純烈

「3月11日はやはり東日本大震災が起きた日として自分の中に在ります」と語るのは、歌謡コーラスグループ「純烈」を結成してリーダーとなり、プロデューサー役を務めてい…

TAP the SONG

「拘置所のトイレをあけるとねずみが顔を出し楽しい」と書かれていた手紙から生まれた「ひとり寝の子守唄」

東京大学に在学中だった1965年に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し、翌年に「誰も誰も知らない」で歌手デビューした加藤登紀子は、セカンド・シングル…

TAP the SONG

中森明菜によって新たな生命を吹き込まれた加藤登紀子の「難破船」

「難破船」は加藤登紀子が1984年12月1日にリリースしたアルバム『最後のダンスパーティー』の収録曲で、発表当時はアナログ盤のA面2曲目であった。 40歳を迎え…

スポンサーリンク

1 / 2612345...>>
Pagetop ↑