Extra便
追悼・ペギー葉山~信頼できるマネージャーとして60数年間の活動を支えた音楽人
青山学院女子高等部に在学中から米軍クラブで歌っていたペギー葉山は、60数年間にわたって同じ事務所に所属して活動してきた。 その間、信頼できるマネージャーとして彼…
1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
現在はRomancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載中。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe
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青山学院女子高等部に在学中から米軍クラブで歌っていたペギー葉山は、60数年間にわたって同じ事務所に所属して活動してきた。 その間、信頼できるマネージャーとして彼…
TAP the SONG
岡本おさみが言うところの〈吐きすて〉の歌の元祖を海外に求めれば、真っ先に名前が挙がるのはボブ・ディランであり、ビートルズのジョン・レノンやローリング・ストーンズ…
TAP the SONG
1967年6月27日、ロンドンのリバティ・レコーズのスタジオでは、<有能なタレントとソングライターを求む>という広告に応募してきた20歳のレジ・ドゥワイトが、ピ…
TAP the SONG
矢沢永吉がソロになってから3枚目のアルバム『ドアを開けろ』(1977年)は、最後から数えて2番目に収録されていた「バーボン人生」と、それに続くラストの名曲「チャ…
TAP the STORY
大阪のミナミの繁華街から少し外れた難波元町で、「喫茶ディラン」が営業を始めたのは1969年8月15日。その日は終戦記念日であった。 わずか4坪半のスペースにカウ…
TAP the SONG
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は1960年4月、ポリドール・レコードからシングルが発売された。 その片面には原田信夫が歌った「夜霧のテレビ塔」という曲が…
TAP the SONG
1973年9月21日、東京・文京公会堂で開かれたはっぴいえんどの解散コンサートが終わって、ライブ音源をレコードにするためにミックスしていたスタジオで、アンコール…
Extra便
ニューヨーク・ジャズ・カルテット(N.Y.J.Q)の一員として1977年10月に初来日したジャズシンガーのキャロル・スローンは、当時40歳だったがすでに「知る人…
TAP the DAY
アメリカのシングルチャートで、ビートルズが1位から5位を独占するという快挙は、ビルボード誌の1964年4月4日号でのことだ。 1位 「Can’t B…
TAP the SONG
1978年10月20日、スティングとアンディ・サマーズは格安航空チケットで、ロンドンからニューヨークへ向かった。 午後10時半ごろにケネディ空港に到着し、迎えに…
TAP the SONG
ポリスの歴史は、1976年に地元のニューカッスル大学のセントメリーズ・カレッジにある大食堂で歌っていたスティングが、アメリカ人ドラマーのスチュアート・コープラン…
Extra便
1977年8月にギタリストとしてアンディ・サマーズが加わったポリスが、3人のメンバーで活動するようになってから数週間が経った頃、ドラムのスチュワート・コープラン…