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TAP the POP

佐藤 剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。

音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。

その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。

舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。

著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。

Romancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe

2023年6月20日死去。享年71。

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1972年12月25日~クリスマスにちなんだバンド名のキャロルが「ルイジアンナ」でデビュー

1972年10月1日、フジテレビで夕方に生放送でオンエアされていた若者向けの情報番組『リブ・ヤング!』で、「ロキシー・ファッション」という企画が取り上げられた。…

TAP the DAY

1985年を過ぎたら演奏しないつもりだったブルーハーツ初の自主制作盤「1985」

1985年に甲本ヒロトと真島昌利の二人を中心に結成されたザ・ブルーハーツ。同年12月24日。年の瀬も押し迫ったクリスマスイブの日に、彼らは東京・都立家政の『スー…

TAP the DAY

誠に素敵な、才能にあふれる男。2002年12月、彼の他界は音楽社会にとって多大な損失だった。

ジョーとの時間がどれほど楽しいものだったのか、言葉では伝えきれない。 エンジニアでプロデューサーのグリン・ジョンズが自身の回顧録『サウンド・マン』で、ジョー・ス…

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伊藤銀次の自伝「MY LIFE, POP LIFE」に生き生きと描かれる日本のポップスとロックの誕生絵巻

伊藤銀次は、大滝詠一からその昔、「伊藤銀次はフィクサー、ロック界のキッシンジャーだ」と言われたことがあったという。 自分で意図してそうしているつもりはまったくな…

TAP the SONG

世界のミフネと呼ばれた男~三船敏郎という映画スターの誕生を彩った歌「ジャングル・ブギー」

戦時中に軍の報道佐官待遇として中国に渡った作曲家の服部良一は、終戦を上海で迎えてしばらく留め置かれたが、1945年12月になって生きて帰国することができた。 そ…

Extra便

ビート文学発祥の地と呼ばれるサンフランシスコを初めて訪れたクラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズ

クラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが、初めてアメリカのサンフランシスコを訪れたのは1978年の夏である。目的はセカンド・アルバム『動乱-獣を野に…

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なかにし礼が作詞家になった出世作~菅原洋一「知りたくないの」

立教大学の学生だった中西禮三(後の なかにし礼)はシャンソン喫茶でアルバイトするようになり、美輪明宏がホームグラウンドにしていたことで知られるシャンソン喫茶「銀…

TAP the STORY

27歳になって心臓発作で入院したことから、作詞家になろうと決意したなかにし礼

新設された仏文科に転籍したことなどもあって、8年もかけて1965年の春に立教大学文学部を卒業したなかにし礼が歌謡曲の作詞家になったきっかけは、シャンソンの訳詩を…

Extra便

クラッシュのジョー・ストラマーが地下鉄で日本人の若者に残した言葉

ロンドンの地下鉄の駅で偶然に、カメラマンのハービー・山口がジョー・ストラマーと出会った時、瞬間的にとった行動とその直後に体験したエピソードを紹介したい。 197…

TAP the SONG

中島みゆき「時代」③~亡くなった父の言葉が聴こえてくる「荒野より」と「もう一人の私」

1974年の春に札幌藤女子大を卒業した中島みゆきは、帯広の実家に帰って、父と母が営んでいた産婦人科医院を手伝うようになった。 そして1年後、第9回ヤマハポピュラ…

TAP the SONG

中島みゆき「時代」②~ヤマハ音楽振興会の創始者だった恩人に捧げる言葉「DAD 川上源一」

第6回世界歌謡祭の舞台でグランプリを受賞して「時代」を歌う際に、中島みゆきはオーケストラの伴奏を制して自分のギター一本でうたった。 そこには自分を発掘してくれた…

TAP the SONG

中島みゆき「時代」①~初めて会った日にノートにメモした言葉「もう一人の私」

中島みゆきが「時代」を歌って世界歌謡祭のグランプリを獲得したのは、1975年11月16日夜のことだった。私はそのニュースを翌17日の月曜日、ミュージック・ラボの…

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