TAP the SONG
石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」
1971年の来日公演で体験したB.B.キングの強烈なチョーキングテクニックと、歌ったり泣いたりしているギターに圧倒されて、石田長生はブルース・ギタリストとして生…
1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。
その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
Romancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe
2023年6月20日死去。享年71。
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石田長生さんの訃報がツイッターやFBで2015年7月8日の朝から流れて、HPを訪れてみると確かにその事実が告知されていました。 ご報告。かねてから闘病中でした石…
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1983年の11月から12月にかけて雑誌『FMファン』での対談で、大瀧詠一の「分母分子論」は発表された。 それはジャズ評論家の相倉久人を先生として、生徒の大瀧が…
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永六輔は常々、「人の死は一度だけではありません」と語っていた。 人は死者と共に生きている。死んだ人たちも、人の記憶の中では生きている。しかし、人は歳月とともに少…
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日本テレビ系列で1970年から放送されている長寿番組が『遠くへ行きたい』、そのテーマソングとして今でも使われているのが「遠くへ行きたい」である。 NHKの音楽バ…
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1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生した。 永六輔作詞、中村八大作・編曲、19歳の坂本九が歌った 「…
TAP the SONG
永六輔が歌手としてデビューしたのは1974年の夏のことだ。そのときに先行シングルとして発売されたのが「生きているということは」だった。 〈参照コラム 追悼・永六…
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1962年8月18日、マージー川をはさんでリヴァプールの対岸にあるバーケンヘッドの町で、地元園芸協会の17周年を記念するダンスパーティーがあった。 その夜の10…
TAP the STORY
ビートルズの初期を振りかえって、リンゴ・スターはこんなふうに語っている。 バンドを始めた頃は、いい音楽を作ることだけが目的だった。僕がビートルズに入りたかった理…